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童話「おばけにだって悩みはある」
この小説は7,325文字です。
1. おばけ屋敷のヒカル
日が暮れてきました。
今にも崩れそうな古いお屋敷に、ちょうちんの明かりだけがポワッと灯っています。お屋敷の周りには柳の木が並んでいて、風もないのにしなやかな枝がゆらりゆらりと揺れています。
ここは、おばけ屋敷。でも普通のおばけ屋敷とはちょっとちがいます。営業時間は、日暮れから真夜中まで。
どうしてそんな時間なのかというと、働いているのが本物のおばけたちだからです。
本物のおばけですが、怖くはありません。お客さんを驚かすのだって、それはお仕事だから、こわ~い雰囲気を演じているだけなのです。
おばけが演技なんかできるのかって? もちろんできますとも。だって彼らは《ヒュードロ一座》という旅回りのお芝居をしていたのですから。
あれから長い月日が経って、ヒュードロ一座は現代社会に合わせた会社となりました。《株式会社ヒュードロドロ社》という外資系企業です。外資系というのは、簡単にいうと外国の会社です。だから社長は外国人です。
ルーマニアって知っていますか? 遠い国です。社長はそのルーマニアから来た吸血鬼なのです。
ゴーン……
低い鐘の音が響きます。お寺の鐘の音です。でもお寺から聞こえているのではありません。ヒュードロドロ社ではこれがチャイムの音なのです。
ギ、ギギギ……
棺桶のふたが開く音です。ふたには《社長室》と書かれたプレートがついています。中から黒いマントを羽織った背の高い男の人が出てきました。
「おはようございます、社長」
秘書のコウモリが社長の周りを飛び回ります。それから、コウモリは小さな体に似合わない大きな声で叫びました。
「さあさ、従業員のみなさん、集まってくださーい! 朝礼の時間でーす!」
おばけたちのとっては日暮れが朝。ここから一日がはじまります。
わらわらと集まってくる従業員たち。ろくろ首、唐傘おばけ、のっぺらぼう、一つ目小僧、人魂、化け猫。
「よし。これで全員ですかな」
コウモリがみんなの上をくるりと一周飛び回りました。
「はいはーい! ぼくがまだでーす! 今行きまーす!」
軒先で淡い明かりを灯していたちょうちんがブルンとひと揺れしました。
「あっ、おまえは来なくていい――」
コウモリが言い終える前に、ちょうちんの中の明かりがポンッと外へ飛び出しました。辺りがパアッと明るくなりました。その明かりはリズミカルに強くなったり弱くなったりしています。
従業員たちがそっと目をそむけました。ピカピカ光ってまぶしいのです。けれども従業員たちはまだいいのです。問題は社長です。
「うわあぁぁぁ! やめろぉ!」
目を押さえたかと思うと頭を抱え、頭を抱えたかと思うと胸をかきむしり、しまいには床を転げまわったあげく、マントにくるまって縮こまってしまいました。黒い塊になった社長はブルブル震えています。
「ヒカル、おまえはちょうちんの中にもどっていろっ!」
コウモリが白く光るかたまりに体当たりしながら怒鳴りました。
「あっ! ごめんなさい! すぐにもどります!」
ヒカルはあわててちょうちんの中にもどりました。
ヒカルもおばけのなかまです。それもおばけの中のおばけ。白くて、まあるくて、足の代わりにシュッとすぼまったしっぽをもっています。風船みたいな、オタマジャクシみたいなあの姿です。きっと誰もが思い浮かべるおばけらしいおばけ。
ただ、ヒカルの場合はちょっとちがいます。全身がピカピカ光っているのです。どうしてだかわかりません。生まれた時からそうだったのだと思いますが、みんな長生きしすぎて、そんな昔のことは覚えていないのです。いつからだか、どうしてだかわかりませんが、ヒカルが光るおばけであることはたしかなのでした。
ヒカルがちょうちんの中におさまると、少しだけ明るさがやわらぎました。
社長がバサリとマントを翻して立ち上がります。
「ヒカル、悪かったな。わたしはどうにも光に弱くてな」
社長はちょうちんに向かって優しい声であやまりました。
「とんでもないです、社長。うっかり飛び出したぼくがいけないんです」
ヒカルがプルプル頭を振るものですから、ちょうちんがプラプラ揺れました。
おばけは夜の住人です。だから、みんな光に弱いのです。社長は吸血鬼なので、特に光が苦手です。ヒカルも知っていたのに、気分がいい時はうっかり忘れてしまうのでした。
みんなは口々に「気にすることないよ」と言ってくれます。
でも――とヒカルは思うのでした。
でも、ぼくがこんなふうにピカピカ光ったりしない普通のおばけだったら、もっとみんなの役に立てたのに。ちょうちんの中にいるだけじゃなくて、ちゃんと人を驚かす仕事ができるのに。ぼくがおばけらしくないおばけであるばっかりに……。
わかってはいるのです。みんなはヒカルを悪く思っていないということは。
わかっていても、もうしわけない気持ちでいっぱいになるのでした。
2. おばけ屋敷の大入り袋
みんなもヒカルのそんな気持ちをわかっていました。だって同じ仕事の仲間ですから。《株式会社ヒュードロドロ社》が《ヒュードロ一座》だったころからの長い付き合いです。
自分たちはヒカルが今のままでも構わないけれど、ヒカル本人が変わりたいと思っているのなら叶えてあげたい。みんなそう思っていました。
そんな時に社長が、ヒカル以外の従業員――ろくろ首、唐傘おばけ、のっぺらぼう、一つ目小僧、人魂、化け猫――を集めて言いました。
「こんなものがあるらしんだが……」
生きている人をゾンビにする薬があるというのです。ただ、それは遠い外国にある珍しい薬とのことでした。
「人には効くが、おばけに使ったことはないそうだ。だから効き目があるかどうかはわからない」
社長がそこまで話した時、コウモリが口をはさみました。
「しかもかなり高価だ」
従業員のみんなは顔を見合わせて、そあれから、大きく一つ頷きました。
「それならおれらみんなで買ってあげましょうよ」
と一つ目小僧がパッチリおめめをウィンク。
「そうですよ。ヒカルはあんなに気にしているんだもの」
と人魂がユ~ラユラ。
「みんなだってヒカルに喜んでもらいたいはず」
とろくろ首が長い首をぐるりん。
「夏はおばけ屋敷は大繁盛だし」
と唐傘おばけが広げた傘をク~ルクル。
「売上すっかり使いましょ」
とのっぺらぼうがササッと顔をこすってすっきり顔。
「そうと決まればお仕事ニャ!」
と化け猫がにゃんと宙返り三回転。
いつも以上にはりきったおばけたち。《株式会社ヒュードロドロ社》のおばけ屋敷は大繁盛の大行列です。
入口のちょうちんの中で順番待ちのお客さんを怖がらせるヒカルも大忙し。
「ヒュ~ドロドロ~」
このおばけ屋敷の効果音は録音テープなんかじゃありません。なんとも贅沢な本物のおばけによる生効果音です。
「うらめしや~」
そんなセリフだってヒカルにはお手のもの。
並んでいるお客さんは入口に入る前から「わあ、怖そう!」と口々に言っています。屋敷の中からは女の人の悲鳴が途切れません。
噂が噂を呼び、日に日にお客さんは増えていきます。
おばけたちは笑顔を隠して必死のうらめし顔。前代未聞、創業以来の大行列。大盛況で大繁盛。
そんなわけで、夏の終わりが近づくころには、社長から全従業員に大入り袋が配られました。
《社長室》のプレートがついた棺桶の前におばけたちが並びます。社長からひとりひとりに大入り袋が手渡されました。
ヒカルの番が来ると、社長は眩しくないように棺桶に潜り込み、フタを細く開けて手だけを出しました。
「ヒカル、よく働いてくれたね」
「ありがとうございます!」
受け取ってみると、中には粉がたっぷり。
「あの……社長、これは?」
「それは海外から取り寄せたゾンビパウダーというものだ。なんでも人に使うとゾンビになるそうだ」
「すごい! かの有名なゾンビになるのですか!」
「人に使えばな。まあ、おばけが使っても、死んでいるものは死んだままだろう。だが、これを全身にふりかけたら、今よりずっと死んでいるっぽくなるのではないかと思うのだ。ヒカルの身体もおばけらしく、薄らぼんやりとした明るさになるかもしれない」
みんながウンウンと頷きます。
「わあ! ありがとうございます! みんな、ありがとう!」
3. おばけ屋敷は大混乱
翌日の営業はみんなドキドキ。
ヒカルはいつもどおり、入口のちょうちんの中に入っていました。
でも今夜はいつもとちょっとちがいます。「ヒュ~ドロドロ」「うらめしや~」と言いながらも、いつゾンビパウダーを使っておばけらしく登場しようかとワクワクしていました。
急にちょうちんからおばけが出てきたら、お客さんはびっくりするはずです。そのままフワフワ飛んで、おばけ屋敷の中に飛び入りしてしまおうとヒカルは考えていました。
お客さんだけでなく、おばけ仲間も驚かしてやろうと気合十分。
「さて、そろそろ……」
ちょうちんの中でヒカルは大入り袋を取り出しました。そしてゾンビパウダーを頭のてっぺんから、ひとふり、ふたふり。
「あれれ?」
みふり、よふり。
ちっとも効き目がありません。
「もしかしてまだ足りないのかしらん」
えいとばかりに頭の上で大入り袋を真っ逆さまに。ドバーッとゾンビパウダーがこぼれます。心なしか少し暗くなったような気がします。
と、その時。
「クシュン、クシュン、クシュン!」
ちょうちんからくしゃみをする声が聞こえます。不思議がって群がるお客さんたち。
「クシュン、クシュン、クシュン!」
ヒカルがくしゃみをするたびに、ちょうちんがぶらんぶらん揺れます。ひとりのお兄さんがお客さんを代表してちょうちんを突っつきました。
――ツンツン。
その揺れがいけませんでした。ちょうちんの中のゾンビパウダーが再び舞い上がったのです。
「クシュン、クシュン、クシュン! ――ハックションッ!!」
――パァーン!
ちょうちんが破裂しました。モクモクと粉が舞い散ります。ちょうちんを突っついたお兄さんは粉まみれです。
……そう、粉まみれ。つまり、そういうこと。
お客さんの列から悲鳴があがります。
「きゃあー! ゾンビよー!」
「ゾンビだ! ゾンビが現れたぞ!」
「逃げろー! ゾンビがうつるぞー!」
あっという間に人がいなくなってしまいました。
残されたのは新米ゾンビのお兄さんと、ピカピカのままのヒカルだけ。
そうです、ゾンビパウダーを浴びたお兄さんは立派なゾンビになりました。そして、ヒカルの明かりが暗くなったように見えたのは、ただ粉が光をさえぎっていたからなのでした。曇りの日が薄暗いのと同じです。雲がなくなってしまえば晴れるように、粉がなくなればヒカルは元通り。
「あ、あの……ごめんなさい」
ヒカルはぺこりと頭をさげました。
でもお兄さんは自分のことで頭がいっぱい。ヒカルのことなんか目に入っていません。
「なぜだあ! なぜオレがゾンビなんかに! わあー!」
お兄さんは泣きながらおばけ屋敷の中へ走って行きました。とっさに走り去る先が暗闇だなんて、お兄さんがすっかりゾンビになってしまった証拠です。
おばけ屋敷の中から悲鳴が聞こえます。いつもの、怖いけど楽しいといった感じの悲鳴ではなくて、もう本当に狂ってしまいそうに怖がっている、本気の悲鳴。そしてその悲鳴の中には従業員のおばけたちの声も。
「うわっ! あんた誰?」
「ちょっと、和風おばけ屋敷に洋風の助っ人呼んだの、誰よ?」
「げっ! くっさ! おまえ、くっさ! 腐ってるじゃん!」
そして壁にぶつかる音や、物が壊れる音。暗闇の中で、お客さんたちは身動きがとれず、逃げたくても逃げられずにいるのでした。
「ちょっとお、出口どこ~?」
「やだ、痛い痛い! 踏まないで!」
大切なお客さんが怪我をしたら大変です。
ヒカルはその場で何度も宙返りをして、最後にブルブルッと全身の粉を振り払いました。すると、ピッカピカのおばけになりました。
「よーし。ぼくがお客さんを案内するぞ!」
ヒカルはピューンとおばけ屋敷の中へひとっ飛び。
中では転んだお客さんが折り重なるように倒れていました。おばけ屋敷は真っ暗なので、ゾンビから逃げているうちに入口の方向も出口の方向もわからなくなってしまったようでした。
「みなさん、ぼくが照らしていますから、まわりをよく見て、怪我をしないようにゆっくり起き上がってください」
まわりが明るくなったことで、お客さんたちは見るからにホッとした顔をしました。ヒカルに言われたとおり、ゆっくり起き上がり、まわりの人を助けて起こしてあげたりもしています。
「あ、ヒカル!」
人魂がふわふわとやってきました。
「人魂さん、ここからだと入口に戻った方が近いです。お客さんを案内してあげてください」
「お、おう、わかった」
「お願いします。ぼくはもっと奥を照らしてきますね」
「よろしく頼む」
頼もしいヒカルのピカピカの背中を人魂は眩しそうに見送りました。
大繁盛だったこともあって、おばけ屋敷の中は人でいっぱいでした。ヒカルは声をかけながら、みんなが起き上がるまで照らし続けました。
そして、歩けるようになったお客さんたちを連れて出口に向かいます。その道々で明るく照らしては案内していきます。
「はーい。みなさん落ち着いて行動してくださいねー。大丈夫ですよー。足もとに気を付けてぼくについてきてください。出口にご案内しまーす」
こうして、すべてのお客さんが無事帰ることができました。
4. うらめし めでたし おばけ屋敷
「いやあ、ありがとう、助かったよ」
と一つ目小僧が額の汗をぬぐう。
「うん、本当に。ヒカルに言われたとおりお客さんを案内したらお礼を言われたよ」
と人魂が照れくさそうにポワポワ燃える。
「そうそう。ヒカルが照らしてくれたからお客さんと絡まった首をほどくことができたんだ」
とろくろ首がこぶ結びをほどく。
「あたしなんか、お客さんが手を振り回すもんだから、顔をなでられまくって困ってたんだよ。ありがとね、ヒカル」
とのっぺらぼうが消え残った口でにっこり。
「見えないから日傘と間ちがわれて連れ去られるところだったよ。あぶなかった」
と唐傘おばけが傘をバサバサ。
「なにより、大切なお客さんがみんな無事だったのはヒカルのおかげニャ」
と化け猫がス~リスリ。
「ううん。もとはといえば、ぼくがくしゃみをしたのがいけないんだ」
ヒカルがしょんぼりしていると、頭をなでなでする手がありました。見上げると社長が立っています。
「くしゃみのもとを渡したのはわたしだ。効き目もわからないものを渡したばっかりに、みんなに迷惑をかけてしまった。もうしわけない」
「いえ、そんな! ぼくはとっても嬉しかったんです。たしかに効き目はなかったけど……って、あれ? 社長、ぼくといてもだいじょうぶなんですか?」
「フフフ。これだよ」
社長は得意げに目元を指差しました。真っ黒なサングラスをかけています。
「社長。ど、どうしたんですか、それ!」
「どうだ? 似合うだろう?」
「ええ、かっこいいです……けど」
「お客さんの落し物さ。これは返すが、わたしも買おうと思ってな。なにもヒカルが変わらなくたっていいんだ。わたしがサングラスをかければいいだけさ」
「それでもぼくはおばけらしくないし、こんなにピカピカしていたら会社の役に立てません」
「おや。いま役に立ったばかりじゃないか。大活躍だったよな、みんな」
おばけたちは笑顔でうんうん頷きます。
「あの誘導はヒカルじゃないとだめだった。ヒカルだったからできたことなんだよ。仲間とちがう個性は別にハンディキャップじゃない。たしかにヒカルはみんなとちがう。でも、ただそれだけのことさ。《株式会社ヒュードロドロ社》のためにいい働きをしてくれたね。ありがとう、ヒカル」
ヒカルは嬉しくてボロボロ泣きました。いつもよりよく光っています。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
おばけたちが笑いながらヒカルを囲みます。
「――ところでみなさん」
社長秘書のコウモリが頭の上をクルクル飛び回りながら声をかけました。
「盛り上がっているところ悪いんですがね、こいつ、どうしましょう?」
そう言って、コウモリはゾンビの前に伸ばされた腕にぶら下がりました。
落ち込んでいるからなのでしょうか。それともゾンビのポーズなのでしょうか。お兄さんは、肩を落とし、背中を丸め、うつむいています。
社長をふくむ全員が「ああ……」と低い溜息をつきました。
「う~ん。わたしに責任があるからなぁ」
社長は腕を組んでうなりました。
「そうだなあ、きみはどうしたい?」
お兄さんがパッと明るい顔になりました。
「じゃあ、ここで働かせてください! 就職が決まらずに困っていたんです!」
おばけたちは口々に「えー。でもゾンビって和風おばけ屋敷に合わなくない?」などと言っています。
しかし、そこはさすが社長、ビシッと答えました。
「よし、ゾンビくん。きみ、採用!」
「あ、ありがとうございますっ!」
まったくなにが幸いするかわからないのが世の中。
「ゾンビくんの入社を機に、わが《株式会社ヒュードロドロ社》は和風おばけ屋敷をやめて、国際色豊かなおばけ屋敷にしようじゃないか! これからはグローバリズムの時代だよ」
こうして、《株式会社ヒュードロドロ社》は新入社員も迎え、新たなステージへ突入しました。
おばけレジャー施設、《ヒュードロドロ・ランド》は連日大賑わい。〈東洋エリア〉と〈西洋エリア〉のどちらのおばけも大人気です。
ヒカルも屋根の上の看板に腰掛けて、お客さんをお出迎え。たちまち人気者になりました。屋根の上で宙返りをしたり、ピカピカ光って注意をひいてみたりとサービス満点。
今日も明日も明後日も、《株式会社ヒュードロドロ社》は明るく元気なおばけたちが働きます。
「寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。さあさ、世にも楽しいおばけ屋敷だよ!」
(どろん)