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童話「つららの家の魔女」

この小説は5,049文字です。

 世界のはしっこに小さな国がありました。小さな国のはしっこには小さな町がありました。小さな町のはしっこには小さな森がありました。
 小さな森のはしっこは世界の果てでした。寒々として薄暗く、池には氷が張り、土には霜柱が立ち、木々や草は霜に覆われて真っ白でした。夜になると一層冷えて、星の光がチクチクと肌に刺さるような寒さです。

 そんな森の中に小さな家がありました。

 ガチャリ。

 戸が開きました。出てきたのは少女でした。手には灯りのないランタンを提げています。
 軒に垂れ下がるツンツンにとがったつららをくぐり、サクサクと霜柱を踏みしめて少し開けたところまで行くと、夜空に向けてランタンを掲げました。すると、すうっと流れた星が降ってきて、そのままランタンに吸い込まれました。

 ポッ。

 捕らえた星のかけらは、ランタンの灯りとなって揺らめいています。
 少女が星の灯りのランタンを持って家に入ろうとすると、鳥の羽ばたきが聞こえてきて、黒い影が屋根にとまりました。

「あら。エクロク。こんばんは」

 エクロクは夜の森にすむ精霊です。ホーホーとフクロウのような声で鳴きますが、見えるのは黒い影ばかりなので、本当の姿はわかりません。

「やあ、コンル。最後の森の魔女」

 エクロクは少女の名を呼びました。

 コンルは魔女です。少女の姿をしていますが、幼い子供ではありません。小さな町の誰よりも、小さな国の誰よりも長く生きてきました。そして誰よりもひとりぼっちでした。話し相手はエクロクだけです。

 今はひとりぼっちのコンルですが、遠い昔にはこの森にもたくさんの魔女が暮らしていました。町から人が来ることもありました。

 町の人は怪我や病気をすると、森の魔女のところへやってきたのでした。森では手に入らない食べ物や織物などとひきかえに、薬を作ってもらおうというのです。
 そうはいっても、薬はすぐその場で作れるわけではありません。薬の種類によってはできあがるまで何時間も何日もかかることがあります。なので、あらかじめ定めた日に町の人が受け取りに来ました。
 早くできあがったときには魔女の方から届けにいくこともありました。そしていつしか、魔女が届けにいくのが当たり前になりました。
 そのころからです。森の魔女たちは、ひとり、ふたりと、町に行ったきり帰ってこなくなりました。町の人たちも薬を受け取ったあとに魔女がどこへ行ったのか知りませんでした。
 そしていつしか魔女はコンルだけになってしまいました。

 あるときエクロクにいわれました。

「町の人にやさしくしてはいけない。笑顔も見せてはいけない」

 町の人に冷たくそっけなくしていれば消えないというのです。物知りのエクロクがいうのですからそうなのでしょう。
 コンルはほかの魔女たちにもエクロクの言葉を伝えましたが、みんな笑って信じませんでした。
 けれどもコンルはエクロクのいいつけを守りました。頼ってくる人に薬は作りましたが、いつも怒ったようにツンツンしていました。コンルが冷たくしているとコンルの家の周りも冷えてきて、コンルがツンツンしていると軒先にはツンツンのつららが伸びました。しだいにつららは増えていき、コンルの家を守る鎧のように見えました。

 やがてコンルに薬を頼みに来る人はいなくなり、仲間の魔女もあまり話しかけてこなくなりました。そうして、気づけばコンルだけが残ったのでした。

 今はもう町から人が来ることはありません。まだ森には魔女がいることを知っていても、冷たくてツンツンしているコンルは恐れられるようになったのでした。
 ですからコンルの話し相手はいまやエクロクだけなのです。

 そのエクロクがいいます。

「コンル、人が来るよ。町から人が来るよ」
「どうして」
「そりゃ薬をもらいに来たのさ」
「もう長いこと薬なしでやってきたのに?」
「今度ばかりは魔女の薬が必要なのさ」
「大変。道具や材料はそろっているかしら」

 コンルは大変大変といいながら家にかけこむと鍋や壷、月の滴や時の化石など、必要になりそうな物を急いで探し出しました。

「コンル、やけに楽しそうだね」

 エクロクが部屋の奥にある小窓にとまっておかしそうにホーホー笑いました。

「町の人が病にかかっているというのに楽しいわけがないでしょう」
「そうかい? 顔が笑ってるけどな」

 はっとして頬に手をやると、たしかにコンルは笑っていました。

「いやだわ。久しぶりに人に会えると思ったらつい。困っている人に会うというのに」

 エクロクのいいつけなのでツンツンしていましたが、コンルはいつも一生懸命暮らしている町の人たちのことが大好きだったのです。

「おいおい。気をつけてくれよ。くれぐれも笑顔を見せてやさしくするんじゃないよ」
「ねえ、それってどうして……」
「おっと。来たようだ」

 人の気配を察したエクロクが夜の森に飛び立つと同時に戸がノックされました。

 コン、コン、コン。

 コンルは大きく息を吐くと、表情を引き締めます。

「お入り」

 そろそろと扉が開き、入ってきたのはひょろりと背の高い青年でした。

「あのぉ……あなたが魔女ですか?」
「そうよ」
「えっと、ぼくは、その……」

 青年は戸口に立ったまま、もじもじおずおずしています。よほど急いで走ってきたのか、この寒いのに汗をかいています。その汗も夜の寒さで氷の粒になっていきます。

「さっさと入って戸を閉めてちょうだい」
「あ、はいっ、すみませんっ」

 青年はコンルのことをよほど怖い魔女だと思っているに違いありません。戸を閉めたあとも壁に背をぴたりとくっつけて罰でも受けているようにじっと立ったままです。
 こんな調子ではいつまで経ってもどんな薬がほしいのかいい出せないでしょう。
 コンルは青年に背を向けて、そっとため息をつきました。
 部屋の奥の小窓に目をやると、小さなつららが新しくできてくるところでした。エクロクが戻ってくる様子はありません。

「ひさしぶりのお客様だもの、いいわよね」

 コンルはそうつぶやくと、空の小鍋を手に取り、一振り、二振りしました。するとたちまち甘くてやわらかな香りがしてきます。カップに注ぐと、夕日を映す水面のようにきらめいていました。
 コンルはやさしい笑みを浮かべて青年に差し出します。

「さあ、まずはこれを飲んで。気持ちが落ちつくはずよ」

 青年はおそるおそる受け取ると、くんくんにおいをかいで、それから少しだけなめるように口にふくみました。

「……おいしい」

 カップに向かってそういうと、残りをごくごくと飲み干しました。

「魔法で作った飲み物なんて初めてだ。本当に魔女なんですね」

 飲み終えた青年からおどおどした様子は消え、それどころか賢く頼りがいのある人に見えました。

「魔法でいれはしたけど、それはただのお茶よ」
「ただのお茶? ほんとうに? ぜんぜん気分が違うや」

 空のカップをいろんな向きから眺める青年の様子に、コンルはくすくす笑いました。それを見た青年も笑顔です。

「それに、話しに聞いていた魔女とは違って怖くないや。きっと別の魔女のことだったんだね」

 コンルはそれには答えずに肩をすくめました。

「さあ、落ちついたなら話してちょうだい。怖い魔女に頼んででも薬がほしいだなんて、その病はどんなものなの?」

 青年はここへ来た用事を思い出して、はっとした顔になりました。その顔はみるみるうちに苦しそうにゆがみ、ふるえる声で話し始めました。

「町に疫病が広がっているんです。最初は旅人でした。赤い顔でふらふら歩いているのを見かねた人が自分の家に泊めて看病してあげたんです。翌日には歩けるようになったので町を出て行きました。それから二、三日して、看病した人が倒れたんです。次に家族が。その次に隣の家族が。そうやってあっという間に町中が病人だらけになってしまいました。幸い病が悪くなる人はいません。けれどもよくなる人もいないのです。ぼくの両親ももう十日も寝たきりです。お願いです、薬を作ってください」

 病気になった人の近くから次々と広がっていくのはわかります。けれどもそれ以上悪くもならなければよくもならないというのは奇妙です。

「発熱だけなのですか?」
「はい。どこかが痛むということもないようです。ただ高熱で力が入らず立ち上がるのも難しいのです」
「そうですか。わかりました。では、どんな熱でもたちまち下がる薬をつくりましょう。朝までにはできあがりますから、それまであなたは眠るといいわ」
「いいえ、両親が心配なので帰ります。明日の朝、また来ます」

 そういって青年は町へ帰っていきました。

 コンルが薬の調合をしていると、小窓にエクロクがやってきました。先ほど見えていたつららが溶けかけて、ぽたりぽたりと滴を落としています。

「コンル、あいつに冷たくしなかっただろ」
「どうして知っているの? 見ていたの?」
「見てはいない。けどつららを見ればわかるさ」
「つらら?」
「戸口のつららも溶け始めていたぞ」
「だからなに?」
「もしかして、まだ知らなかったのか? つららは命の残り時間だぞ?」

 つららがすべて溶けたとき、それが魔女の最期となるのでした。
 人より長い命を持つ魔女ですが、あたたかい心はつららを溶かし、命を縮めるのです。けれども命の残りを増やすこともできます。冷たい心でつららを育てるのです。
 だからエクロクはいったのでした。
「町の人にやさしくしてはいけない。笑顔も見せてはいけない」と。

 ぴちょん……。

 水の滴る音がします。こうしている間にもつららは溶けていくのです。

「コンルは命を縮めてはいけない。森の魔女はもうコンルしかいないんだ。これからも町の人に薬を作るつもりなら、命のつららを溶かしてはいけないんだ」
「……わかったわ。あの青年が来たら、黙って薬を渡すだけにするわ」
「ああ。それがいい」

 ところが、朝になっても昼になっても青年はやってきませんでした。コンルは薬を握り締め、戸口を出たり入ったりして落ちつきません。

 とうとう日が落ちて、一日が終わろうとしています。

「ねえ、エクロク。あの青年になにかあったんじゃないかしら」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
「薬を届けた方がいいんじゃないかしら」
「やめておけ。つららが溶けるぞ」
「でも……」
「たった一回だ。たった一回助けたせいで、この先何十回、何百回、何千回と作れるはずの薬を作れなくなるんだ」
「……そうよね」

 コンルがうなずいて薬を戸棚にしまったのを見届けると、エクロクは夜の森へ飛び立っていきました。

 朝日が昇り、濡れた木々や草がキラキラと輝いています。そのきらめく森を黒い影がものすごい早さで飛んでいきます。影は一軒の家の周りをくるくる飛び回りました。家の周りは溶けたつららが水たまりを作っていて、輝く家が水の上に浮かんでいるように見えました。
 影は小窓にとまり、家の中を見渡しました。誰もいませんでした。
 勝手に中に入り、戸棚をのぞきこみます。しまわれたはずの薬がありませんでした。

「コンル!」

 エクロクは魔女の名を叫ぶと、空高く舞い上がりました。
 飛んで飛んで、町まで飛びました。人々が笑顔で抱き合っていました。

 一軒の家から背の高い青年が出てきました。茶色の小瓶を持っています。コンルが作った薬です。
 青年の家の前には水たまりがひとつありました。水たまりにさざ波がたって、エクロクの耳に声が届きました。コンルの声でした。

「よかった。まだいない誰かのためよりも、今いる人のためになにかしたかったの」

 日は高くなり、水たまりは小さくなっていきます。その様をエクロクはずっと見つめていました。

 最後の一滴が消えるとき、エクロクはコンルの笑顔を見た気がしました。

 青年は両親と連れだって市場へ出かけていきます。

 エクロクは町のにぎわいを聞きながら、森へと帰っていきました。

 世界のはしっこに小さな国がありました。小さな国のはしっこには小さな町がありました。小さな町のはしっこには小さな森がありました。
 小さな森のはしっこは世界の果てでした。木漏れ日が揺れ、池は輝く水をたたえ、土には小さな草花が芽生え、木々や草はまぶしい緑色をしていました。夜になるとひどく冷えましたが、星がとても美しくまたたきました。
 むかし、この森にはいつもつららの垂れ下がった家があり、心やさしい魔女が住んでいたと伝えられています。

 森のフクロウが旅人にそう語ったそうです。