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歪んだ旅/-thirties pain *-

叶世 美奈 さんの note 「成人の日に思うこと。#140」を読んで、「ああ、自分もこういう感覚だったのかもしれないなあ……」と思ったので、こちらをアップしてみました。
この元原稿は、2010年、わたしが30代の半ばに書いたものです。今、「When We Were Young」は sweet teenager 編を書いていますので、thirties 編はまだ先の予定だったのですが、ちょっと繰り上げました。順番がきたら、またアップするつもりです。重複しますけど。
今のわたしは地元でご機嫌に生きていますが、だからといって「40過ぎればダイジョウブだよ!」と言いたい訳でもなく、「結婚して離婚してみれば変わるから!」という訳でもなく、だたやはり、10代、20代、30代と、「人生って、流れていくな」という風には、思っています。「When We Were Young」は、そういう掌編集になる予定です。

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 バスターミナルに併設されたイタリアン・カフェで、明るいジャズを聴きながら、わたしは自分が何をしようとしているのか、まるで分からなかった。バスの発車時刻まであと1時間半、切符はさっき買ってしまったから、もう後戻りはきかない。

 昼、急に思い立ってバス会社に電話をかけた。今日の夜行バス。電話で予約ができるかと訊くと、できるという。まったくのシーズンオフだったし、今日が平日だったということもあるのだろう。年配の女性の声が予約ナンバーを告げるのを手帳に書きとめながら、やっぱりわたしは思っていた。わたしは何をしようとしているのだろうと。

 故郷への旅だった。あるいはわたしは疲れているのかもしれなかった。子ども時代に回帰したがっていたのかもしれなかった。いい思い出など、ひとつもないのに。

 子どもというものがいつも生きにくいものであるように、わたしの子ども時代も、生きにくいものだった。実際、30を過ぎた今の方が、ずっと生きやすい。例えばカフェの店員に笑顔を見せてありがとうと言う、そういった風に。子ども時代のわたしはいつも舌がもつれていたし、手足は強張っていた。生きていくやりかたが、分からなかったのだ。

 隣の席のサラリーマン2人づれが、坂本竜馬と新撰組の話をしている。妙に耳についてうっとうしい。大人はいつも、どうでもいいことばかりを話している。子どもの頃が生きにくかったと、思ったばかりなのにわたしはそう思う。集中ができない。でも、何に?

 生まれた町は、山間の狭い田舎だった。町中の誰もが誰をも知っているような、窒息しそうに密なコミュニティだった。わたしの知らない大人がわたしを知っている、そのことに、子どもだったわたしは恐怖した。

 子どもの世界もそうだった。生まれ、年が満ちると保育園に入り、そのまま小学校に入学し、そのまま中学校に上がり、そしてまたそのまま高校に進む、学校は、クラスメイトは、閉じられた社会だ。わたしはいつもそこから出たがっていた。

 そうだ。そうしてわたしは一度それに成功した筈だったのだ。確かに。

 初めて知った外の世界は、水の中のように自由で、伸び伸びしていて、そしてわたしは自分を新しく始めることができた。生まれた時からつきまとっている「〇〇さん家の〇〇ちゃん」という身分を脱ぎ去って、たったひとりの個人になることができた。それは生まれ変わったような歓びだった。おめでとう!おめでとう!わたしの全身が鳴っていた。

 翳りはいつ生まれたのだったか。覚えていない。ただ、河が下流に運ばれてやがて段々と濁りを増していくように、わたしの周りも次第に不透明になっていった。

 斜め前のカウンターに座っている少女が、スマホをいじっている。画面で何かがちらついているが、youtube ではないだろう。もっと何か、仲間内っぽいコミュニケーション。最近の若い子は、新しいものを何の抵抗もなく吸収する。そうだ、わたしはもう若くはないのだ。

 町を出て15年になる。今さらなぜ、戻ろうとしている?わたしは?
 考えようとして、疲れを覚える。頭が痛い。半分しか飲んでいないグラスビールが効いているのだろうか、そんな筈はないけど。

 時計を見る。バスの発車時刻まであと45分。煙草に火をつける。わたしは何をしようとしているのだろうか。また心をよぎる問い。
 濁った水で世界が見えなくなったといって清流に遡ろうとしても、濁ってしまったのはわたしの目、そのものなのだ、きっと。

 子ども時代のわたしが冷たく見ている。その、醒めた視線を感じる。明るいイタリアン・カフェで。

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カバーフォトは、「みんなのフォトギャラリー」より、タカシムカフェ さんの写真を使わせていただきました。ありがとうございマス!

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