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手を握る。

大学時代の夢を見た、というより、夢の中のわたしは大学生だったようだ、というのが正しい。

場所は普通の一軒家だったが寮だったみたいで、ちょっと外出して戻ってきたわたしに5年目4年のあの先輩や6年目4年のあの先輩が教えてくれたことによると、どうやらわたしがいない間に寮の大事があったみたいで、しょっちゅう寮から自主的にいなくなってたわたしらしいわなあ、と思った。

一昨年亡くなった同級生の友人もいて、彼女は死にかけて持ち直して寮に戻ってきたところらしく、どうも時期的には卒業間近の時期らしく、これからどうしようかなあ、と考えてるところらしかった。

わたしは相変わらず彼女には素っ気ないというか冷たいというか塩対応だったが、最後に彼女の手を握って、でも死ななくてよかった、と呟く、ところで手を握りながら徐々に夢から現実に移行し目覚め、移行しながら徐々に涙が湧いた。

首から上だけかなしくて首から下はかなしくないというか、胸が痛いとか苦しいとかそういうかなしさじゃなくて顔だけかなしいというか、そういう不思議に落ち着いた感じだった。夢に彼女が出てきたのは初めてだったので、これが喪というか、死の受容というやつなのかしら?と思った。

人ってのは死ぬもんなあ、と思った。そんな知ったようなことを言うほど人の死を経験しているわけじゃないのだが、死んだおじいさんネコのピーさんについて、現在一緒に暮らし中のうちのババアネコちゃんの我が儘に直面するにつけあいついい奴だったよなあ…と思い出すような感じに(といってもピーさんも別に完全ないい奴じゃなく、調子いいところやズルいところや意地悪なところもあったけど)、そうは思っても死んでるもんなあ、こっちにいないもんなあ、と思う。

手を握る。昨日急に調子を崩した相談者さんの、コロナ警戒下にも関わらずわたしはがっつり手を握ったのだったが、冷たかった手の、握って話す時間の経過とともに、いつの間にか温かくなってた感じ。

人は生きるし死ぬし、そして手も握れるんだよなあ、と思う。


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