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どうか、憎むことのできない敵を、殺さないでいいように。

 歌で、泣いてしまう。聴くだけでも泣いてしまうが、歌うと猶更泣いてしまう。「歌う」という肉体的運動は、感情を余計に歌の世界にシンクロさせる働きがあるように思う。

 去年、『祈り』という歌を歌う機会があった。宮沢賢治の『烏の北斗七星』の次の一節を歌にしたものだ。

あゝ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうに早くこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません。
(『烏の北斗七星』宮沢賢治全集8、ちくま文庫より)

 ステージに乗る日の一週間前、元夫が失踪した。正確に言えば、元夫が失踪したことを知った。わたしは、自分が元夫を殺したような気がした。『烏の北斗七星』は敵対しなくていいはずの異種族を殺してしまうことの苦しさを描いた童話だが、わたしの殺した憎むことのできない敵は、元夫だったような気がした。この歌を歌うと、途中で泣けて歌えなくなった。車の中でいつも流していたのでそれで泣き、練習しながら泣き、本番では感情のシンクロレベルを落として泣かずに乗り切ったけど、リハーサルでは泣いた。どうしても、自分が殺したような気がした。

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個人誌『離婚した時、もうセックスは終わりだなと思っていた。』に続く、傷つきと回復の約2年間の記録。わたしたちの未来に、つつましやかだけれど…

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