ダメ男捨てたい衝動。或いは厭きっぽい?或いは可変性への不信、別れのカタルシス。要は、ネクストステージに行きたい。

 離婚以来、忍耐力が足りなくなった自覚は確かにある。付き合って二、三年経つと相手の図に乗った要求に応えられなくなり、限界がきてスパァンと切り捨てる、そんな繰り返しが不毛であることは分かっているのだが、そういう道を辿りたくなる欲求がむずむずと動き出す。注、彼氏のことを言っているんじゃありません、仕事のことを言っているのです。つまり、お仕事相手たるお役所に我慢がならなくなってきているのです。すみません、男と女の例えを使うと、自分にとってものすごく分かりやすいんです、下種な表現ですが。そして今回の稿は、固有名詞を一切出さず、間接表現と例え話で最後まで進めるので、読まれる方は、心の中でひそやかに憶測してください。

 仕事を進める過程でうんざりすることは確かに多く、彼らの丸投げする癖に口を出してくる姿勢には本当に苛々させられるが、一番どうしようもなく嫌気がさしているのが、目標設定がずれていることだ。彼らは町の事業として結婚を支援することで、結婚を増やしたい。だから、成婚が何組あったか、カップルが何組できたか、を問題にする。なぜ結婚を増やしたいのかというと、勿論、人口減少に歯止めをかけたいからだ。ところが、結婚を増やしても人口は増えない。人口増加に直接的なインパクトを与えないのだ。なぜならうちの町では、結婚の現象が人口減をもたらしたのではなく、若年人口の減少が婚姻数の減少をもたらしたから。原因と結果が逆なのだ。うちの町の人口減少には別の大きな原因があって、婚姻数の減少は、母数が減ったことによる見かけ上の減少なのだ。若年人口あたりの婚姻数は、60年間ほぼ変わっていない。町の人口動態を町政スタート時まで遡って調べてみたら、そういう結論に辿り着いた。仮にうちの町が当時のレベルの人口規模を達成しようとすると、現在の若者世代男女が全員町外から配偶者を得て町内に住んだとして、単純に計算して1カップルにつき9人子どもを設けなければならないことになる。勿論わたしは統計学を専門に学んだことはないので、とてもざっくりした概算のつかみだけど。

 だからわたしは彼らが数にこだわるのは本当に馬鹿々々しいしうんざりさせられるのだが、おそらく彼らがそういった態度をとるのは、事業の目的を真剣に考えることなく近年の行政の婚活ブームに乗って事業をスタートさせてしまったことと、あと、数を使うと説明しやすいからだと思う。要するに、町はきちんと問題に取り組んでいます、その証拠にこれだけ結婚しましたよ、と言い訳しやすい。事業担当者たるわたしに対する彼らの常套句は、税金使ってるんだから、だ。税金使ってる事業なんだから、ちゃんと納得できる成果を示さなければダメだ、と。これは、納税者たるわたしたちにも責任があると思う。その指標が本当に評価できる数字なのかどうかを吟味する目を持たずに「税金の無駄遣い」みたいなことを言うと、逆に、施政者が意味の分からない数字を挙げることに腐心する事業を生んでしまう、ということ。そもそも自分に引き寄せてよく考えて欲しいのだが、あなたの娘が町のイベントで初めて出会った男と一年も経たずに結婚を決めようとしたら、町の事業の成果だ、と万歳するのだろうか。納得できる婚姻数を出せ、というのは、そういうことだ。

 そこでわたしはこの仕事に就いてからこのかた、結婚支援事業は結婚を望む人たちへの一種の公共サービス、という考え方で、町からの数の達成要求と戦いつつ、独身の人たちにとって押しつけがましくなく気軽に参加しやすい形になるように事業をシフトさせ、さらにこれからの結婚に不可欠な「男性と女性の対等なパートナーシップ」という考え方を徐々に広めていこうとしていたのだが、最近お役所に対するうんざり度合いが進行していた上に、女性との対等な関係どころでない女性の人権に対する加害行為がよりにもよって町のど真ん中で起きてしまった。とんでもなく心が折れた。

 今のわたしの気持ちを例え話でいうと、こんな感じだ。

『経営が弱体化しつつある老人介護施設のマネージャーとして働いていたが、入居者の生活の質と満足度の向上が施設の将来に繋がるとの主張に対し、経営陣は単年度の入居者数の増加を求める。そんな折、理事長が入居者への虐待事件を起こした。理事長は「入居者が興奮していたので、落ち着かせようとして殴った。虐待の意図はない」と釈明し、役員会は「理事長にもこれまでの実績がある。一番大事なのは、施設経営の立て直しを進めることだ」とのコメントを出した。理事長は交代することになったが、このままではマネジメント担当として、「理事長はなるほど入居者を殴りましたが、虐待ではなかったみたいです。他のスタッフが必ずしもあなたを殴るとは限りませんし、当の理事長も辞めたことですから、どうぞ安心して入居なさってください」と対外的に勧誘する役割をせざるを得なくなる』

といったような、懸念と絶望感がある。

 勿論、わたしが内部で奮闘して暴力を容認するようなそういった空気を変えていけばいいのかもしれないが、わたしには四十を越えた男は何やっても変わらん、という偏見と思い込みがあるし(※この場合の「男」もまた比喩的な使用法です)、仕事に厭きっぽいのかもしれない。岩のように腰を落ち着けて粘り強く取り組むより前に、思考がおそろしく先のほうまであっという間に走って、そこで見えたものに疲れ果ててしまう。「お前など、こちらから願い下げだ!」と見えを切ることのカタルシスも、ある。

 わたしは、結婚や恋愛を取り扱う仕事は好きだ。そういう下世話なことに関わるの(というか、とても人間っぽい領域だし、社会のものすごく大切な諸問題と重なり合っている分野だとも思う)、楽しいし充実感あるし。でも、もう行政とは縁を切りたくなってきている。次のステージに行きたい。本当はもうちょっと後の予定だったんだけど。そして離婚してから気づいたことだが、わたしにとって考えや発言や行動や精神の自由を確保することは、何よりも、安定よりも保証よりも永続性よりも、大事なことだったんだな、と思う。そういえば、射手座だった。




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