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ご家庭内のハラスメントにずっと声を上げていきたい。パネルトーク「#Metooを考える」に寄せて。【其の一】

 1か月ちかく note を更新していない上に最近あまりふざけた稿を書いていないので、わたしのそういうどうでもいい話がお好きな皆さまには恐縮なのですが、6月は割と絶賛真面目月間でございまして、この記事も真面目記事です。6月は仕事のライティングでも真面目な記事を書いていたのですが、その他にもこんなお仕事をしていました。

 6月の半ばに、「#Metooを考える」というタイトルのパネルトークに、トーカーとして登壇しました。うちの県の男女共同参画系ビッグイベントで、メインの基調講演とイベント内小イベントとして分科会が幾つか持たれるのですが、その分科会のひとつです。

 登壇したのはわたしともう一人。ファザーリング・ジャパンうちの県理事で、元は某所で先生をされていたGTO氏。彼が企画者でもあります。司会進行役は、わたしが前職でお知り合いになったフリーアナウンサーのeagle氏にお願いしました。GTO氏は過去に奥様の妊娠中職場のパタハラ(※マタハラの父親版です)に遭い憤怒&奮起して退職、その後移られた職場で県内のイクボス(※育児中の部下をサポートする上司)推進事業の中心人物となり、この春満を持して独立された方。eagle氏も、女性アナウンサーとしてキャリアを重ねる中でメディア界の数々のハラスメントを見聞きしてきた方です。

 この企画が持ち上がったのは昨年の冬。その頃日本では、伊藤詩織さんの告発に端を発したMetooがはあちゅうさんの告発でやっと動き出したあたりでした。それらの動きを見ていたGTO氏が、「県内でもハラスメントを許さない動きを起こしたい!」と企画を立ち上げ、わたしに声をかけてくださったのです。GTO氏とわたしの繋がりをお話しますと、以前わたしが自分のところの結婚支援事業のひとつとして開催した講演会で「夫と妻の対等なパートナーシップとしての結婚」というテーマで基調講演をしていただいたことがあり、それ以来のお付き合いです。その頃のわたしの個人的な状況はと言いますと、うちの町で元町長が性加害事件を起こし、それに失望して前職の退職を決意した直後でした。

 それから半年ほど経っての開催でしたが、その間に日本でも大きく状況が動き、わたしも独立して結婚についての記事を書き始め、様々なことを考えました。分科会に参加された方々も、男女共同参画系の活動になにかしら繋がりがあり、このタイトルに興味を惹かれて申し込みをしてくださった方々なので、ハラスメントについて思うところのある方々だっただろうと思います。ちなみにうちの県もまだまだ田舎的因習も残っていますし、長時間労働や女性の家事育児時間、男性の自殺率も全国トップレベルです。

 パネルトークでは、#Metooムーブメントについての概要やハラスメントを問題にする時に押さえておかなければならないポイントなどをシェアした上で、わたしが主に家庭内・プライベート領域で起こるハラスメントについて、GTO氏が主に企業や職場・パブリックな領域で起こるハラスメントについて語りました。その後、小グループに分かれて身近に起こるハラスメントなどについてディスカッションしてもらい、幾つか発表していただいて会場内でシェア。県内でハラスメントを無くす、生み出さないために今後どうしていったらいいかを探りました。

 開催前に懸念していたこともあったのですけれども終わってみると、会場全体でハラスメントについて同じ問題意識をシェアすることができた、いい機会になったのではないかと思います。わたしも日頃の思いを思いっきり話すことができて、凄く楽しかった。機会があったらまたやりたい。

 そして「地方の格差」みたいな問題も最近つらつらと考えているのですけれども(発端はこの辺)、「県」でも、「地方」でも、こんなことをやっている人たちはいますしこんなお仕事もできるのですよ。うちの県では、県内で活動を起こす人たちのための県内版クラウドファンディングも盛んです。「うちの地元はダメダメ」と嘆きたくなる方は、地元をもう一度見直してみたらいかがでしょうか。多分面白いことは転がっている筈ですし、わたしは最近、ローカルにこそ未来の可能性が埋まっているのではないかという気がしています。

 さて、パネルトークの内容についても語っていきたいと思います。この稿ではトーク全体を振り返ることはしませんが、わたしがずっと問題視してきてこれからも考えたいと思っている「ご家庭内のハラスメント」、それについてトークしたことや時間がなくて語りきれなかったことを、書きたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。

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0.ハラスメントの何に注目したいか?:構造としての「権力勾配」

 これはパネルトークで使ったスライドで、「ハラスメントを考える際に押さえておきたいポイントの確認」なのですが、トークでわたしが主に語ったのは、「ポイント2」の部分に自覚的になるための視点です。

 ハラスメントを考える時、「〇〇はOK、セーフ」「〇〇はNG、アウト」という「行為の振り分け」をやってしまうと意味がない、というのは基本のき、なのですが、じゃあ「相手の嫌がっていることをするのはやめよう」となった時何が問題かというと、「相手が嫌がっている」ということが見えない、というところだと思います。そして、パワーに偏りがある関係性の中にいる時、そこは本当に見えづらくなります。

「相手が嫌がっている」ことが見えるようになるため、そして「自分の周りにはハラスメントなんてない」と否定してしまわないようにするため、「権力が偏っている状況」に自覚的になることは大事だと、むしろ「相手の気持ちを考えよう!」とかお題目を掲げる前に自分の立っている場を二度見してみるのが先なのではないかと、わたしは思うのです。

 そこに気づくと、誰しもが被害者にも加害者にもなり得るということ、だからと言って「みんな立場は同じだよね!」じゃなくて自分がどっちをやらかしがちな場に立っているかということ、その辺が見えてくるのではないでしょうか。

1.ご家庭内で権力が分断する場面:「稼得労働」と「ケア労働」

 まず、一番根本にあるんじゃないかな、と思う、「家事育児分担」の話です。そこが?と思わないでくださいね。「権力」ってね……。こういう言葉を使うと「夫が妻を殴って言うことを聞かせる」とか「妻が財布を全部握っている」みたいな感じがするかもしれませんが、わたしはもっとライトな部分から、だからこそ拭い去りがたく、わたしたちの意識に沁み込んでくるものだと思うんですよね……。

 結婚支援の仕事を始めた時、最初に直面した疑問がこれでした。「何で理想の結婚相手の条件が『共働きと料理上手』なの?」。独身男性の話です。疑問なしにナチュラルに同居するんですよね。「共働きしてくれる女の子がいいなあ」と「家のことちゃんとやってくれる女の子がいいなあ」が。気を付けて見ていると、既婚男性でもナチュラルにそう思っていますよね。ここに疑問を感じるか否かが大きな分かれ目なのでは、とわたしは思いますが、いかがでしょうか。

 最初に考えたことは、「男=外で稼ぐ/女=家で家事育児、の役割分業が変化して女性が外に出るようになったけど、男性の家庭進出が追い付いていないのかも」という、タイムラグの問題でした。「どっちも大事で大変な仕事。だから分け合って専任性にしてました」ということです。こういう問題なら「女性も外で働き出したんだから、男性も家で家事育児を担おうね!」と分担比率を調整して、やがて時代が追い付けば解決します。でも、だんだん気づき出した。それでは済まないな。

 例えば、うちの辺りの地域では、そもそも専業主婦がいなかったように思います。家事育児を専業でやってた女性などそもそもいなくて、仕事(従来は家業だったと思いますし、現在では絶対どんな女性もパートなり有期契約労働なりしてますよ)も家事も、両方担っていたのが女性だと思います。また、共働き女性が直面しがちなのが「俺の方が多く稼いでるんだから君が家事育児を多くやって当然だよね?」という夫の言葉です。「君が俺と同等に稼ぐようになったら俺も家事をするけどね」という言葉です。要するに、「稼ぎ仕事が優先。家事は稼げない方が引き受けるもの、もしくは稼ぐ方を煩わせないように片付けておくべきもの」といった価値観。「主たる稼得者は稼得に専念し、従たる稼得者は稼得のほかに家事も片付けておく。なぜなら家事は従の仕事だから」。そういった稼得労働と家事労働の非対称性は、かなり古くてかなり根強い価値観なのでは?

「家事育児の分担」。ご家庭内で揉めごとになりがちですが、これって単に「面倒な作業をどう分け合うか」だけではない問題が潜んでいると思うんですよね。それを単純に、家事育児に振り分けられる時間がどっちに多いとか、どっちの仕事が大変で負担が大きいから分担はこの程度とか、どっちのスキルが高くて容易に遂行できるとか、「作業の振り分け方」だけで考えていたら、見落とすものが出てくると思う。おそらくそこには、家事労働を「家の中のことなんだからそれほど大変じゃないもの」「片手間や空き時間で誰でもできること」「愛情から無限に湧くもの」といった捉え方で、軽視したり過小評価したり透明化したり除外したりといった、「家事は仕事とは別だよねー」が起きていると思うのです。

 こうして「別物だよねー」と切り分けられた「仕事」と「家事」、どちらの立場が強いかと言えば、明らかに「仕事」の方です。多くの妻は、「仕事」「稼ぎ」を持ち出されたら、もやもやを抱えつつも言葉を飲み込みますよ。オフィスに敷衍しても、「外に出て売り上げを獲得してくる営業」と「中で事務などサポート業務を担うバックオフィス」の間には、明らかに待遇差があったりします。「営業が外回りから帰ってきたら、内勤がそれまで消していた照明と冷房を点ける」というルールがある事務所の話も聞いたことがあります。「お仕事ごくろーさまデス!」の表現型ですよね。

「仕事」と「家事」、つまり「稼得労働」と「ケア労働」、このふたつはどっちが上でどっちが下、ではありません。単に守備範囲が異なるだけです。どちらが欠けても、家庭もオフィスも回りません。ですが現状、この異なるタイプのふたつの労働は、切り分けられて違う重みを持たせられている。これが、ご家庭内で起こっている権力格差、権力勾配の第1ステップだと思いますし、ここが一番ささやかでついつい引き受けがちで、そして根深く内面に食い込んでいる権力勾配なのではないでしょうか。

 結婚していた時、わたしは元夫と一緒に働いていた訳ですが、終業間近になると「先に帰ってていいよ」と「許可」が出るのが微妙に苦手でした。離婚直前になるともうそれは我慢しきれないほど大きな違和感に成長するのですが、要は別に先に帰してもらっても嬉しくも何ともないからですよね。先に帰ってぼーっと休んでたらどえらい目に遭うのは分かりきっていますし、先に帰るということは、掃除したり買い物したり料理したりお風呂を沸かしたりして、元夫が帰ってきたらすぐ寛げるように整えておかなければならない。「先に帰ってていいよ」じゃなくて、「先に帰って家のことやっててくれる?」であるべきなんです。でも元夫の側から見ると、「仕事から解放して家に帰してあげるやさしさの発露」みたいな感じなんですよね、ナチュラルに。多くの共働き女性が抱える苛立ちは、こんな類なのではないでしょうか。時短勤務の妻や同僚のことを「早く帰れていいな」と感じる人は、是非そういうことにも思いを巡らせて欲しいと思います。わたしの実感から言いますと、一緒に遅くまで稼いで帰ってからせーので一緒に家のことを片付ける方が、心情的にはよっぽどマシでした。

 さて、今回はこの辺りで終わります。次回はこちら。2.ケア労働が女性に固定化される仕組み:「癒し」と性別 に続きます。企業で「オフィス妻」をやらされるのには辟易しますが、かといってご家庭内で「夫よちよち」するのもごめんだ、という話です。

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カバーフォトは、「みんなのフォトギャラリー」より、ツキシロ さんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございマス!ネコにじっと見つめられるとね……内省的にならざるを得ない気持ちにならないですかね。

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