車いすの彼女と、死ぬ権利について語る。

肢体不自由で車いす利用の女子高生と、今日も深イイ話をしてきたので、ちょっとご紹介します。

彼女は今日、「生きる権利があるなら、死ぬ権利もあっていい」と、自殺についての持論を展開しました。
私は、そういう気持ちはわかるし、わたしもそんなふうにおもっていたこともあったのだけれど、歳を重ねて変わってきたよ、っていう自分の意見を伝えました。
彼女は、どうして?と私の考えを聞きたがってくれたので、ちょっと語らせてもらいました。

一つには、死ぬことによってもたらす影響が大きいこと。
私の死は、私だけで完結していない。だから、勝手に死んではいけないよね、と思うのです。どんな人にでも生きてきた軌跡がある限り、関わってきた人間がいて関わってきた場所があり、死は、関係を築いてきた各方面に少なからず影響を与えてしまう。だから、勝手に死んでもいいでしょ!という風には思わなくなったんだ。と話しました。
例えば、私が死んだら、家族はもちろんだけれども、友達ももちろんだけれども、今ぱっと顔が浮かばないような人たちにも、その死が悲しまれる可能性があって、もしかしたらその中には、心を病むほど悲しんでくれる人もいるかもしれないんです。
昔はかまってちゃんな気分の時もあって、だからこそ死をもってメッセージを伝えたい!みたいな想いをいだくこともなくはありませんでした。思春期とか、ありがちです。でも、いろんな自殺のニュースを目にするたびに、悲しい気持ちになりながら、こんなにたくさんの人に惜しまれ悲しまれていても死んだ本人はもうそのことを知る術がないんだな、死んだら何かを伝えることができたところで、そこまでなんだ……ということを教えてもらいました。
それにね、死ぬ権利を自分の大切な人が行使しようとしたら、権利だから仕方がないよねって、見送ることができるかな?やっぱり、消えられてしまうことは、残る人のとてつもなく大きな喪失感につながるよ。

もう一つには、ちょっと宗教染みててあれだけど、
望んで生まれてきたわけではないけど、神様には必要だと思われたからこの世に生まれてきたんだろうな……と、私は思っているからです。たとえばそれは、「どうしてゴキブリがこの世にいるの?」っていう問いに対する答えもそうなのだけれど、私は、人間の目線では絶対にいらないと思えるものでさえ、神様は作っている……ということを考えると、もうほんと、人知を超えたレベルの全体感で、いるいらないを見定めて、神様はこの世に命を送り出しているんだと思うんです。まぁこれはほんと、私の勝手な受け止め方というか考え方なのですが。そうだとしたら、私自身も、なんで生まれてきたのかわからないけれど、神様的には必要だったんだと思うんです。
そんな命を、勝手におしまい!ってしちゃうのは、神様の計画に背くようで、なんだかちょっと違う気がしてる。
どうせもらった命、どうせもらった体なのだから、そしてどうせ自分としていきることができるのは、このたった一回の人生でだけなのだから、今の自分を味わい尽くして、神様が終わりを告げるときまでたのしませてもらえばいいじゃない?って思えるようになりました。
ちなみに「神様」っていうと擬人化されたイメージにつながっちゃって、怪しげになってしまうけど、私の言う神様って本当はそういうんじゃなくて、万物創造の神っていうのでしょうか……とにかく何かが創り出されることに意味があるとするのなら、それは人間中心、人間ありきの考えではないところに軸があるはずでは?と思っているってことです。
客観的にとらえたら、地球にとってとかんがえると人間はなかなかな破壊神だし、そもそも地球そのものが宇宙にとってどれくらい必要性のあるものなのかもわからないしね。。。私たちのようなちっぽけな存在には見えていないものがまだまだ山ほどあって、100年くらい生きたって、何も知ることもないまま終わっていくんだと思う。
そんな巨大な歯車の歯の一部の、さらに分子のようなレベルかもしれない、ささやかな存在である私たち人間が、与えられた命を自分でどうこうしようって、そんなこと、考えなくたっていいんじゃないかな、って、覆うようになったんです。

でもね、それでもやっぱりつらい時なんかはあるし、死にたい気持ちもわかるし、八方塞がりな気分で衝動に駆られることだって、ないとは言えないんだよ。人生いろいろあるからね。

彼女は「自殺したいと打ち明けてくれた人がいたら、死んじゃだめだよっていうのは、言いたくない」と言いました。
死にたい気持ちを、否定したくない。そこには彼女のそんな優しい気持ちがありました。私は、「死んじゃダメっていうのは、言ってもいいと思う。死んでもいいよ、とは絶対言えないから。でも、死にたいって言ってくれたことを否定してはいけないよね。死にたいっていっちゃだめだよ、そんな風に考えないで!ってい言われちゃうと、、死にたい気持ちを外に出せなくなっちゃうもんね。」と理解。彼女も深くうなずいていました。

実際彼女も死にたかったことがあったんだとか。
でも勇気がなかった、と彼女は言います。
私は、勇気がなくてよかったよ、と言います。
そしたら彼女は少し笑った顔をして、
「どうにかなる、って、そのことを、ときどきわすれちゃうんだよね」
と言ってくれました。

どうにかなるって
本当にその通りで、
ときどきわすれちゃうのもごもっとも。
ホント、どんなことも、死ぬことに比べたら、どうにかなることなんだけどね。時々それを、忘れちゃう。

私たちは、死ななくていい理由、死なない方がいい理由を、
たくさんたくさん並べることができるけど、
そうじゃない気分の日が訪れて、たまに衝動に飲み込まれてしまう。
そして時々、そんなはずみで、命が連れ去られていく場合ある。

自殺をしようとは思わないでほしい。
きっとほとんどの場合、なんとかなるし、自殺するほどの必要なんてないからね。だけど、もし衝動におされて自殺を図り、それがうっかり成功してしまったら……
私はそれも、神様が連れていかれたとおもっています。
自殺してしまった人に、悪いことをしていると思うことは、ありません。
神様が選ばなければ、きっと本当に死んでしまうことはないって、
私の中では思っているから。

車いすに乗った彼女は、周りの人には理解できない悩みや苦しみを抱えて生きているんだと思います。でもほとんどが他の女子高生と変わらない感覚で、今、思春期の後半真っただ中。
私と会話していく中で、彼女がアイデンティティを確立する材料を、少しでも得て行ってくれたらいいなと思っています。

また彼女とのやり取りを、ときどきここに書いていきます。

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