ネガティブだから、遅刻しなかった

基本私はネガティブだ。自意識過剰と自己嫌悪と自虐で自分を傷付ける毎日。他人になにかされて傷つくよりも、自分で思い込んで傷つく方が多い。
だからたまには私のいいところを見つけないと、落ちるところまで落ちてしまう。無理矢理ポジティブになろうとしなくても、悪いとこだけ見てると自分を見失いそうになる。本当は私以外のだれかに褒めてもらいたいけどなかなかそんな機会もないし、自分で自分を褒めて肯定するしかない。

いいところってなんだろう。
そう考えた時浮かんだのは、遅刻をしないところだった。今の会社もアルバイト時代も、遅延などのやむを得ない事情以外で遅刻したことがない。寝坊そのものはあるけど、そもそも起きる予定時刻を早めにしていたから遅刻はしなかった。

その根底にはいつも「恐怖」があった。
もし遅刻した時の会社内の雰囲気は?遅れてしまった相手はどう思うんだろう。ただでさえ遅刻したことの罪悪感で苦しいのに「遅刻したやつがきた」という空気の中に入るなんて、地獄だと分かってて進むようなもの。想像しただけで息苦しいし、体が鉛のように重くなる。いっそのこと、引き返して休んでしまおうかと考えるほど。

さらに口では「大丈夫」と言ってる人がこわい。私の気持ちや会社の雰囲気を壊さないよう気にしてない風に取り繕ってくれるほど、内心どう考えているのか見えなくて。だから勝手に想像して勝手に怖がっている。やさしさの裏にある本心を想像してはびくびくしてしまう。

そんな恐怖を味わいたくないから、万が一乗ってる最中に遅れが発生してもギリギリ大丈夫なよう一本早めの電車に乗ってるし、朝は強いけど動きが鈍いことを考えて予定より15分早い時間からアラームをかけている。
おかげで自分都合の遅刻は今のところなく、想像の恐怖を味わうことなく過ごしている。これは褒めたっていいんじゃないか。

でも遅刻しない理由を深掘りした結果、怒られるんじゃないかってネガティブな気持ちが先行していることに気が付いた。早めに起きて家のことをやろう、仕事を前もってやってしまおうという理由じゃなく、怒られたくない、負の空気を生み出したくないという恐怖から遅刻しないよう動いている。

自分を褒めようとしたのはいいけど、結局自分のいいところの根底には自分のネガティブがあった。私は私のネガティブに助けられていた。
そう思うと、このネガティブも悪くはない気がする。光あるところに影ありとか表裏一体なんて言葉の通り、いい面の裏には悪い面があってそれらが私を生かしていたんだ。自意識過剰だからこそ人に近付く時は十分に気を付けているし、図々しくはないはず。

私の中にあるネガティブをうまく調理すれば、とりあえずお腹は膨れるし生きていけそうだ。

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