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資本主義のルールよりも人間のルールを大事にする

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一休:まず「未来の設定が本当に不動産投資で生きていくのか」というところがひとつ。あと「恐怖感がなぜこんなにも強いのか」というのがひとつ。このふたつ問題があると思う。おそらくクリエイティビティの無さが未来の選択肢を狭めている。あとは既存のお金の稼ぎ方にフォーカスしがち。本当にその選択肢しかないのか。しかも今投資してフォーカスしてる世界というのは、人間の心理とか脳の仕組みなのにも関わらず、本当に不動産で食っていくのかというところ。結局そのお金を使って何したいのか。それがない限りモチベーションは湧かないでしょう。「とりあえずお金あれば安泰だな」という安易な思考から未来設定をしているところがすごく気になる。

講習生:生活を安定させたいという欲求から、そういう安定的な収入になりたいという思考があります。あともうひとつは空間リテラシー講習を受けるなかで、より居心地の良い空間に対する興味や楽しさを感じていて。だから最初は正直ボロ屋の投資で得たキャッシュをもとに、たとえばエアビーとか民泊業を始めて、自分でも居心地のいい空間を作って、それを人に使ってもらう。もっと上のステージでは、デザイナーズマンションを利益含めて自分で作るとか。そういうことはやってみたいです。

一休:うん。それを仮設定するのはいいと思うんだけど、もう少し余白を作っておきたい。人間心理を学んだりとか、人とのコミュニケーションが上手くなる前提のプランがあった方がいい。つまり既存の枠組みの中じゃない、独自のサービスがあり得ると思う。たとえば「不動産×コーチング」みたいな。そういう突拍子もないキーワードから詰めていく選択肢があっていい。やっぱり何かを考えるときに、既存のサービスを自分が使うという選択肢しか生まれてないところがすごい気になる。絶対それ以外の選択肢あるから。
講習生:単純に不動産を所有するんじゃなくて、不動産という住まいに根ざしたコミュニティは作っていきたいと思いますね。

一休:「それを実現させるためにお金が必要だ」という順序で組んでいかないと難しい。そうするとまちづくりに対する取り組みに関する情報が必要になってくる。仮にそのルートで行くと、必ずしも自分が収益を上げるだけが選択肢じゃないと思う。他からお金を引っ張ってくるとか、すでにそういうことに取り組んでいる人と組むとか。

講習生:正直その通りだと思うんですけど、やっぱり「自分の生活を安定させたい」という欲求がめちゃくちゃ強いです。

一休:それも恐怖ですよね。なんでそんな生活を安定させたいんですか。

講習生:根本的に「自分が金を稼げてない」という不安感情が強い。

一休:じゃあ稼げなくなったらどうなりますか。

講習生:生活保護ですかね。実家に帰って親に頼るとか。

一休:じゃあ極論死にますか。

講習生:極論死にはしないです。

一休:じゃあなぜそんなに恐れるのか。

講習生:あまり掴めていないです。

一休:具体的に恐怖を書き出してみたらいい。リスクを抽象的なリスクだと思っていると、漠然とすごく不安になる。実際に具体的にどういう状態になるかを全部書き出してみること。お金が無くなったら、こうなって、こうなるというパターン。たとえば生活保護になったら、自分の生活はどうなるか。それで仮に理想の未来に行き着くことを前提としたときに、1回完全に落ちるところまで落ちて理想の未来にたどり着く人生と、落ちはしないけど登り切りもしない人生。どちらがいいのかって言われたら、後者は楽しいと思いますか。

講習生:楽しくないです。でも落ちること自体に対する恐怖感とか抵抗感がめっちゃありますね。

一休:「具体的にどういうことを落ちると言うのか」が自分の中で見えてないことが原因だと思う。あとリスクを取って失敗した経験は無意味なのかという話。というよりも「リスクを取らないことのリスク」を考えた方がいい。
やっぱり資本主義のルールに縛られ過ぎてる。人間のルールを大事にしよう。人間のルールさえ大事にしたら、資本主義のルールは無視しても生きていける。これは間違いない。つまり資本主義のルールを大事にして、損得勘定で生きてる人が他人を頼ったときに、他人が助けてくれるのかという話。損得勘定はないけど愛嬌があって、いろんな人のために何か行動してる人が困っていたら、どちらを助けたいと思うか。あるいはどちらの生き方が辛いかという話。

講習生:資本主義の中にいる方が辛いです。

一休:そう。そういう人は孤独になる。孤独になるとはつまり人間のルールから外れるということ。資本主義に縛られると、一番の大元である人間のルールから外れて生きることを選択することになる。大元のルールの遵守の方が大事でしょ。

講習生:おそらく人間関係ですら、資本主義的に考えてしまっています。お金が無くなると自分ひとりになると思ってます。

一休:お金を払って人と繋がろうと思ってるでしょ。それパパ活女子じゃん。

講習生:あとは人間関係において、能力とかお金ががないと自分に価値がないと思い込んでる。

一休:それは人間のルールの中で人と付き合う経験値の少なさが原因。自分が恵まれてることに無自覚。素晴らしい仲間が周りにいるでしょう。自分がめちゃめちゃ愛されてることをちゃんと受け取ってください。もちろんお金を払って入ったコミュニティですけど、そこで得た人間関係はお金によって手に入るものですか。

講習生:違います。

一休:そうでしょう。深い人間関係はお金によって手に入れるわけじゃない。毎日少なからずお賽銭しまくったらいい。執着をどんどん手放す。体感を得るには賽銭が一番いいと思います。募金だとお金が数字で動いてるからあまり体感がない。だからお賽銭が一番。できれば1000円札がいい。自分はランニングしてるときに毎朝神社でお賽銭することをルーティーン化してる。これが気持ちいい。そして不思議なことに、賽銭した後はめちゃめちゃ体が軽くなる。1000円札を週3回ぐらいで突っ込むといい。あと小銭よりもお札の方が絶対に執着が出やすい。でもお賽銭だけを目的にすると多分しんどくなるから「散歩行くときは必ずこのルートを通ってお賽銭しよう」ぐらいの心持ちでいいです。

講習生:ちなみに不動産の指値で人にお願いすることの恐怖感もこれと一緒ですか。

一休:「人間関係で嫌われたくない」という気持ちがものすごい強いから、人に踏み込むことに対して異常な恐怖心があるんでしょう。僕からすると「言うだけじゃん」という話。もちろん言い方は考える必要がある。「最初から指値にしよう」というコミュニケーションではなくて「この人は何に興味があるのか」「どういう意図で不動産を取引したいんだろう」とか、純粋に相手のことを聞いていくところから入らないと。つまりコミュニケーションのキャッチボール。みんな自分のボールを相手に投げたがる。でもまずはいったん待っておいて、相手のボールをしっかり受け取るところから始める。これがコミュニケーションとして大事なこと。

講習生:異常に「嫌われたくない」という気持ちがあるのは、やっぱり自分が愛されていることに無自覚だからですね。

一休:愛されることを手放してください。だって既に愛されてるから。別に目の前の人に愛されなくてよくないですか。愛されることに執着があるなら、まず先に愛してあげなよという話で。

講習生:愛されることへの執着はめっちゃ強いです。

一休:どうでもよくないですか。生きてるじゃん。それが答えでしょ。この年まで生きてるということは、愛されてないとまず無理なわけで。

講習生:はい。

一休:たとえば「ここで奢ったほうがかっこいい」という水準で奢るのと「ここで奢ったらこの人めっちゃ喜ぶだろうな」という水準で奢るのは違うことなんだよね。相手の感情の動きに対して、自分の喜びを見つける。そこにフォーカスしないと難しい。相手の感情が動かすためには、いかに定石とかセオリーを外すこと。予定調和は面白くないから。「普通これはやらんだろう」というものをやっていく。それを事前に考えられるうちは考えておいていいけど、そのうち無我でできるようになります。みんな一定のペルソナで生きるから、それを外して相手と喋れる人は最強。自分がペルソナ外して人と喋ると、相手のペルソナも外れる。でもみんな「この人の前ではこういうふうに見られたい」という仮面を被る。

講習生:たしかにその時点で、自分に対して意識が向いてしまっている。

一休:そうじゃなくて場を楽しませるために、初対面でも深い関係でも関係なく仮面を外せる人はすごい。そういう人は道化になることに対する抵抗がない。たとえば今ケーキが残り2個しかなくて、1人食べれない状況ですよね。ここでケーキを分けるときに、ただそのまま分けるのではなく、「いやめっちゃ食べたいんだけど、ちょっと分けてあげる」みたいなタメをあえて作る。すると相手は「めちゃめちゃ欲しいのにあげてる」という前提でケーキをもらうわけだから、普通にもらうよりも少し嬉しい。本当にケーキを食べたいというよりは、相手を楽しませるために「もしかしたら食べたいんだよ」という演出をしてあげる。こういうのが大事なんだと思います。

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