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医者家系問題

受験の季節、3月。



基本的に受験という競技について愉快な話なんてのはそもそもなくて世の中の保護者含め向上心のある人というのは一度はキラキラを夢見るんだけどこれまた正解がない。合格して勝ちを掴み取った医者の息子の医学部合格もまさか卒業手前で大学を辞めたいなどと言い出すとは誰も思わなかった。そういうことが進路・人生にはたくさんある。いや、あって当たり前なのだ。



開業医の先生で息子さんは私と同い年だった。
先生は慶應ボーイに憧れ慶應ボーイに敗れた経験からとにかく息子娘には慶應に行きなさいばかり。先生の親は先祖代々みんな慶應だった。
お子さんは2人とも慶應高校に通っていたしこのまま順調にいけば…という感じの暮らしだったので先生は息子さんが医学部に合格した時に病院を大きくした。その数年後息子さんは医学部を中退した。


そこから先生は学会に顔を出さなくなっていった。息子が医学部を辞めたことが恥ずかしいと言っていた。情けないとすら言っていて学会に提出したFAXをいただいたことがあるけれどそこには何万字の量かわからないくらいの長文で子育ては難しかったと記されていた。


後からわかった事なのだが息子さんはやや発達障害があることについて他の病院で診断を受けた。そのことを先生は私に話してくれた。本当に恥ずかしいのは僕ですよ。心療内科の看板を新しく立ててこんな職業をしているのにそれでも息子に気付かなかった。気付いてやれないような親ですと泣いていた。



先生は産婦人科、婦人科、内科など専門をたくさん慶應で取得した私にとってはいまでもカリスマドクターだと思っているのでただ頷くことしか出来なかった。





その後、息子さんは2つ大学を卒業した後現在は3つ目の大学院に進学して今年の春に卒業する。私の母校だ。臨床心理士の資格も取得したらしく私と同い年なのにもう一度医療の勉強に励んでいる。先生はお子さんのその姿を嬉しそうに私に話していた。


「卒業したらね、◯◯という所で◯◯という仕事がやりたいって息子が言ったんだ。嬉しかったよ」



念願だった医学部家系が壊れた時はひどく落ち込んでいたがいまでは先生も息子さんの将来について少し外から見る事で応援してあげられるようになったようだった。








「もうじき、ここの院内にポスターを貼るからね。息子をよろしくお願いします」




そう言って先生は笑った。
私にだけではない。患者さんなどにもお子さんの話を積極的にするようになった。医者の子は医者という概念の苦しみから解放されたのは本当の意味で息子さんではなく先生だったように思う。

親子というものは同じなんだろうな。
親が苦しい時は子供も苦しい。子供が苦しい時は親も苦しい。そんな家庭に生まれた事だけでも尊いのかもしれない。そして愛情というものに正しさなどはなくもしかしたら間違いというものもないのかもしれないと思いたいと思い始めてからが本当のスタートなのかな。誕生日という一大イベントによってとっくにスタートは切っているはずなのにそれでも親というものは何度も何度もスタートのやり直しをしていかなければならないのかもしれない。そしてどんな時でも子供を支えてあげられる優しさや思いやりをなるべくならば間違えないようにじっくりじっくり。


世の中に悩みなんてもんはいくらでもあるが悩む価値がある悩み事ランキング圧倒的1位は子育ての悩みだと思う。本当にそう思う。仕事の悩みや自分のコンプレックスの悩みなんかよりめちゃくちゃ価値がある。悩み事が無駄だとは思わない。悩むことさえも親である瞬間であるしおそらくではあるが幸福に限りなく近い悩みだとも思っている。自分の子供の事で悩める日がくるなんて一応幸せだと私は思っているけれど…。



どんなポスターなのだろう。
先生が院内に息子さんの新しい門出のポスターを貼ったら見に行こう。楽しみだ。

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