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自分の進む方向を変えるときは、笑顔でいられる方向にしようと思う

 学業や仕事が様々な理由で継続できなくなったとき、私はそれを何らかの強制力だと思っている。

 例えば人生の役割やゴールがあって、自分が進む方向が決まっているとする。まっすぐにそこに向かう人もいれば、迂回を繰り返してウネウネとした道をたどる人もいる。でもそれが、逆方向みたいな明後日の方向に頑張って進んでいるとしたらどうだろう。続けられない理由は、経済的なもの、他者の都合、病気やケガかもしれない。そういう時は、そのまま続けないように、方向を変えるように、道を正してもらっていると思うのだ。

 仕事をものすごく頑張っていた時、環境も上司も、そもそもの仕事内容も、とにかく理不尽を呑み込んで残業して期限内に完了しようとしていた。その結果、やんわりとしたハラスメントと、マイナスの評価を受けた。体調はどんどん悪化し、仕事を継続できなくなった。その時は何も考えられなくて、退職して体調を戻すことしか考えていなかった。でも、仮に続けていたら心身共にかなり不健全な生活を送っていただろうと思う。

 とある権利を得ようと頑張っていた時は経済的な理由で方向を変えた。サポートしてくれると約束してくれた人が、突然できなくなったと言ったのだ。急遽、方向を変えて数ヵ月かけて別の方向に切り替えた。
 諦めて次の方向を決定した途端に、すごい勢いで物事が変化した。当時、毎週のように友人と食事を共にしていたのだが、毎度状況が激変していることを指摘され、苦笑いしたものだ。よく考えたら、そのまま無理して継続していても、望んでもいない方向で結果も出せずに苦労していたと思う。

 仕方なくではあったが、方向を変えたら苦痛が減って物事が動き出した。今更だから言えることだが、当時は自分が苦手で嫌いな方向に向かって、障害物と逆風の中を進もうとしていたのかもしれない。

 進もうと思った方向に進めなくなる時、今は立ち止まるようにしている。もしかしたら、それは頑張れば進める障害物かもしれない。でももしかしたら軌道修正かもしれないからだ。でも、そういうこともあるんだと思っていると、結構気が楽だ。その時は立ち止まって、ありがたく自分が笑っていられる方向を選択したいと思っている。


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