見出し画像

失恋をきっかけに始めたnoteの一年後わたしはまだ忘れていなかったそれでもわたしは恋をはじめた


失恋をきっかけに始めたnoteが、今日で一年経ったんだよと、お知らせをくれた。


あぁ、一年経ちましたか。深緑がより一層それに追いつかないまま寂しさを深めたGWから、一年経ちましたか。                それでも哀しくて苦しかった日々が、段々と癒えてゆき、やっとここまで来ましたか。実質、失恋から一年と五ヶ月…。


時間薬。正に私にとって、一番のおくすりでした。


無理に諦める事は、諦めてしまい、未練たらしく想い続けました。言ってしまえば、今もそれは変わっておらず、無理に追い出す事はなく放っておいているままです。

 

そんなに良い男なのか?そんなに幸せにしてくれた男なのか?そんなに条件が揃っていたのか?


そんなもの全く当てはまらないのだから、恋とゆうのは正に感覚で、言葉のセンスが好みだとか、声の響きが良いとか、生きてきた様が魅力的に見えては惹かれたのだから、なんかいい、なんか特別…そんな風に思う頃には、すっかりと落ちてしまっていたのだよ。


会いたいなぁ…と、直ぐに本音が出てきてしまう。一方的に縁を切った酷い男だとわかっていても、長い期間こんなにも心を奪われては罪深い男に、そんな事を思うのだから恋ってやつは、色んな判断を欠けてしまうとゆうのも、仕方がないのかもしれないね。


それならば、少しでも良い条件で、良い男と付き合ったほうが幸せになれるのは、間違いがない。


新しく出来た彼も、そう言うならば、私のセクシャルを擽り、特別な感情を持たせてくれる。


だから昨日の真夜中に送った私の言葉には、嘘なんてない。


そして、今日も彼から貰えるメッセージには、私の言葉に応えてくれる愛で溢れていた。


失恋を経て、私は自分の感情を、素直に伝えられるようになっている事に驚きながらも、少し楽になれている。


いつ縁が切れるのかわからない関係なのだから、言葉の一つくらいは、嘘をつく必要も我慢する必要もないのだね。勝手に言わないマニュアルなんて作る必要はなかったのかもしれないね。


身体だけは尻軽で、言葉選びだけは慎重だなんてまるでアンバランスで、イケてないったらありゃしない。


いつまでも既読のつかない憎らしい男なんかよりも、私の胸を掴む言葉を綴れる男の方が、よりいい男なんだと、一部の私は知っている。



〝おやすみなさいとても好きになって困りました”



一年後の真夜中に、私は新しく出来た彼へと、こんなメールを送っているよ。マニュアルなど要らずに、溺れてみるのも良いかもね。一部の私はそれを見ていて、仕方ないねと笑うでしょう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?