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理解するのは、誰?

イベントでのトーク内容を考え中。

今回は自分の話に加えて、エンタメやネタ的に障害が取り上げられることについて、どういう配慮が必要か?というような話をテーマにしています。
そこで考えるのは、理解を求める為の配慮…ということになると思うんですが、そのことについて。

理解する人される人

いつも、障害や病気(に限らず理解が難しい関係で)理解を求める側だけでなく、求められる側の声も知りたいと思っているんですが、これがなかなか聞けません。
たぶん「理解できない、と言いづらい。最初から正しく理解しないと失礼だろう」っていうのってかなりあるんだと思います。
私も、自分の障害のことを話すときは理解を求める側だけど、それ以外についてはやっぱり結構ひるんでしまいます。
本当は直接話せれば良いんでしょうが、うっかり変なこと聞いちゃいけないと思うと、結果的にその話題に触れないようにしてしまったり。

知らないってことを知っておく

理解する気がない人はアレですけど、解りたいけど解らない、という人に対して、理解を求める側ができる配慮や歩みよりもなんかある気がしているんです。
そしてたぶん、それを聞き出すのって当事者じゃないと難しいかもしれません。そうじゃないとおそらく「理解できない言い訳」の言い合いみたいにも見えてしまいそうだし。

とはいえ、いつも胸に刻んでいるのは「理解できない、という人の気持ちを私は理解しているか?」ということ。
理解を進めるとか、広く知ってほしいとか思うのであれば、このことは忘れちゃいけないな。

イベントではそんな話をすると思います。理解ってなんだろ。誤解されないように、というときの「誤解」って何でしょう?

イベント情報

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7月3日(金)20時〜21時
「本の街で、こころの目線を合わせる 2nd」
第一回Tokin ×山田ルイ53世(髭男爵)オンライントークセッション

(主宰・合同出版、神保町ブックセンター 協力・共用品推進機構)

配信方法:zoom
※参加者のカメラはオフになります。(コメントではご参加頂けますが、音声・動画ではありません)

予約制・参加費500円・先着100名様
予約はこちら


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