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守られていい

配信で「自由を奪われるひとびと〜収容する社会を考える〜」を見る。

多くの施設では、虐待などの酷い人権侵害が起きています。人の自由を奪う拘禁や身体拘束の現状と歴史、問題点や課題を学び、すべての人が生まれながらにして持つ権利「自由」について、ともに考えるイベントを企画しました。
(サイトより)

入管や刑務所、病院での人権侵害の実情が、当事者や各種の支援者の声で語られたイベント。
劣悪な状況であるらしいという情報は知っていたけど、実際に現場を知っている人の声は、情報で知る以上の重みを感じさせるものでした。

暴行やネグレクトへの憤りと同時に、関心を持たなかったらそれらの暴挙は全く外側からは見えないという構造を恐ろしく思いました。(見えないから、進行してしまっている…ということなのですが)

人権団体から勧告が出ているにも関わらず、国はそれをスルーしているとのこと。また、先進国の中でも精神科入院への対策や、刑務所での人権侵害のひどさが際立っているのだそう。うーん…。

イベントの中で語られたのは大変ハードな現実でしたがその一方「学生の話を聞いていると『誰かのために何かできるか』と考えるより前に、自分のことを大事に出来ているか?と思うことが多い」という話も出ていて、個人的にはその意見に強く共感しました。

最近、自分をネタ的に卑下する表現として「人権がない」という言い方を時々見ます。
あれを初めて聞いた時「『人間は守られるべき存在だ』という人権感覚が(冷笑出来てしまう程)薄いのでは?」と結構深刻に感じました。
他人を大事に、とは思うのですが、どこか「他人から大事にされてこなかったのかな」いう感じもしてしまうんですよね…。

様々な場面で見受けらる弱者へのバッシングは「強者は弱者から人権を剥奪しても良し」という優生思想的なものもあるでしょう。ただ個人的に、その根底には「強者から弱者は貶められるものだ」「(自分も他人も含めて)我慢や不平等は甘んじて受け入れるしかない」という諦めの空気がある気がします。

弱い立場に置かれたらそうでない人や環境に頼るのは悪いことではないし、望まずとも弱者側に行ってしまうことはある。また、もし犯罪を起こしたり迷惑をかけたとしても“相応の罰”以上の罰が与えられるべきではない。
そういう、罰ではなく救いの部分の意味が極端に軽視されていないでしょうか。

現状に暗澹たる思いも感じましたが、ラストに、当事者でない立場の人が出来ることについて語られていたのが光となっていてとても良かったです。問題の解決に向けて動いている人や、このように伝える場を作ろうとした人がいることは私にとっては希望と勇気になりました。

今からでも配信が購入出来るそうです。ご興味ある方はぜひ。
知る事は次へのアクションにつながると思います。


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