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最初は希望だったもの

話題になっていたこの動画を見た

政治と宗教の関係についても衝撃的だったんだけど、それと同じくらい「なんでこうなっちゃったのかなあ」という気持ちが否めなかった。

「こうなっちゃった」というのは、愛とか平和とかいう、多分みんなが求めているであろうものがカルト化してしまった…という意味です。
最初から絶対悪として出てきたなら純粋に憎いけど、そうではないところが、何ともな。
だって「平和な世界を目指しましょう」と言われたら「そりゃそうだ」ってなるよね。言葉の上っ面だけ見れば…。

平和や幸福は確かに多くの人が望むものだけど、そこから行く先を、新興宗教やカルト団体に定めてしまった人がいれば、そっちに行かなかった人もいる。その違いを考えたとき、結局その危険な方に希望を求めてしまった人は、現実世界での関わりよりもそちらの方が頼もしいと思ってしまったんだろうな。そうと思うとやりきれない。
「だから仕方ない」という事では全然なくて。ただ、変な方向へ行ってしまう心境に、共感出来なくもないんだ。ちょっとわかる。
全然共感出来なかったら「わけわかんねー、やべー」とか言っちゃえるんだろうけど、あの人は私だったかもしれない、ってどこかで思えてしまう。

私はかつて、生きるのがとても辛かった時、宗教に答えを求めたことがある。
もちろんカルトとかではなくて、こんなに長い間、仏教やキリスト教、イスラム教が栄えているなら、そこにはそうなりうるだけの説得力があるに違いない!と思ったのだ。そして図書館で「誰でもわかる○○教」みたいな本(それぞれの宗派が出しているんじゃなくて、学校の教科書的な本)を借りたのだった。
ただ、わからなかったんだよね。書いてある内容が…。私は元来、系統立てて文章を読むのが非常に苦手で、理解とか共感以前の問題で、内容が把握できなくて…。残念なのかラッキーなのか微妙なところですが、そんなわけで信仰を持つのを諦めたのでした。
今思えば直感的に「なんか違う」と感じたってのもあるかもなあ。

なので、信仰を求めたくなる気持ちというのはちょっとわかる。
それに、その内容に感動したら「他の人にも教えたい」とも思うだろうし。私はそういうタイプだし。

愛とか平和とか、まあ基本的に望んでることは自分と同じなのに、それがズレた方向へ向かってしまうとこうなるんだな…というのをしみじみ思ってもやもやしたのでした。

「カルト団体というのはおよそ反社会的団体なので、そんな甘いものではない!」というのはわかってるのだけど。ワタクシの、感傷です。


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