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嵐山 渡月橋

自分が暑さに弱いのは知っているのに
ついつい遠出してしまいましたf^_^;

夫が大阪に出張と聞き
「ずるーい、私も行きたい!」と
当然の主張(^◇^;)
なんだかんだ、5年ぶりの関西旅行と
なりました!(^^)!
初日は一人で大阪の中之島や難波を
ウロウロしたのですが
翌日からは夫と合流して京都へGO!

嵐山に行きました(^_^)/
テレビでよく紹介される渡月橋を始めて目の前にして感激!(^^)!

実は私の母(秋田在住)が生まれた地なので、
嵐山方面へ行ってみたかったのです

何というか私、57歳にしてやっと父や母の若いころのことを
知ってみようと思い始めました
なぜだろう…
今までは親の人生の話は
聞き流していたのに
う~む
60歳を前に
これからの10年、20年、30年を自分がどう生きて行こうかと
考えることが多くなったからでしょうかね(^▽^;)
身近な人の生き方を参考にしたくなったのかな

母の父(私にとっては祖父)は日本画家でした
秋田の片田舎で生まれた祖父は
絵を描くことが大好きで飛び出すように家を出て
東京、そして京都で修業を重ね、
やっと日本画家となり家族と暮らしていたと聞いてます(^_^)
長女だった母は嵐山の渡月橋で川遊びを
したようです(^。^)


しかしながら
戦争が始まり、祖父は家族を連れて故郷秋田に疎開しました
京都は空襲の被害は少なかったとは言われていますが、
やはり逃げる決意をしたのだと思われます
まだ小学生だった母たちは辛かったでしょうね

でももし母が疎開しなかったら‥
父と秋田で出会うことなく…
私という人間は存在しなかった…
まして、私の息子たちもいなかった…と
考えると、皮肉にも運命って誰かの決意で変わるんだなって思いました
当たり前のように今日を生きてることは、奇跡なのでしょう

ちょっと素直な気持ちになったので
渡月橋のライブ感を母に伝えようとして電話したのに…出ない(;´Д`)
んもーーーー
どこに行ってんだろっ!
後から聞いたら
…80代が三人集まり女子会してたそうです
あらあら、そうですか(笑)
母は昭和14年生まれの88才
…元気で何よりです(^▽^;)

ところで、
私が行ったのは6月中旬でしたが
外国の方がたくさんいました
仙台ではそんなに外人さんっていないので
感動!(^^)!
英語で話しかけられたけど
何とか?答えられました(^▽^;)

炎天でもう帽子も日傘も効き目なしって感じで
あちこちは回れなかったのは心残りです

正確には、
映画村のある「太秦」が母の産土のようです
「蚕ノ社(かいこのやしろ)」という所でも母は
よく遊んだそうです
どんな所なんでしょう?
パワースポットらしいですね
もう一度、私のルーツ探し?に京都に行こうと
心に決めました('◇')ゞ
次は夏を避けます(^_^;)

しかしまあ
交通系カードっていうのは
便利ですねー
私は「スイカ」です
首からぶら下げるようにしましたが
どこに行っても
ピッピッって(^O^)
いや〜便利なことは利用しなきゃのポリシーです‼️
あっ、常識なのかな(;´∀`)

これからの生き方探し中の私ですが
とにもかくにも
世の中の変化から目を背けないでいたい!(^^)!

久々の飛行機からの景色
俗界から引き離された感がたまには必要なんだなと
思いました

駄句一句
雲海や欲することは邪心じゃない 
             by詠子

長い呟きになってしまいました
読んでくださりありがとうございました!(^^)!


渡月橋側の甘味処にてヽ(^o^)丿

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