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リコーGRというカメラ

僕が初めてGRというカメラを手にしたのは、2011年のことだった。

一人で吉祥寺の外れのヘンテコな家に住んでいたのだが、311の地震が起きて、怖くなって、誰かと暮らしたいと思い立った。

当時既に職業として写真を撮っていたが、常にプライベートでも写真を撮っていた。それは作品とは到底呼べないような代物だったが。

素晴らしいタイミングで、新宿外れのシェアハウスに住む友人と出会い、部屋が1つ空いたというので、ベッドと机と椅子を持ってすぐさま転がり込んだ。

”シェアハウス”というものが流行していた時期でもあったので、これは撮らずにはおけないというそんな気持ちがあった。

案の定、それは僕の人生にとって、とても鮮やかで面白い季節となった。

まずそのハウス自体が、古びれた今にも壊れそうな”スナック”だったのだ。一回にバーカウンターと客席があり、二階に住居があった。過去にスナックだったその建物には、まだ「スナックあき」という看板さえ出ていた。(たまに近所のおじいさんが「やってる?」と入ってきそうになったこともある。僕たちは毎回「いや、やってないです」と答えていた。)必要なものは全て揃っていて、宇宙船のようなお風呂まであった。まるでその建物自体が現代美術作家の作品であるかのような風体を備えていた。

そこに住む人々も、ダンサー、舞台役者、大手企業SEとバラエティーに富み、その繋がりで”スナック”を訪れる友人達も、モデルにDJに声優にオタクと、まるで東京の縮図がそこに在るかのような有様だった。(共に時間を過ごした人々は、現在各々の方面で素晴らしく活躍している)

このような対象を撮るのに、適したカメラは何だろうか。

当時幾つかのカメラを持っていたが、合いそうなものはその中に無かった。

狭い家の中でも撮れて、よく写る。それでいて、相手に警戒心を与えずに、自然の流れで撮れる。ドキュメンタリーという範疇の写真にしたいという思いがあったので、いつでもどこでも持ち歩けるサイズ感であり、瞬間を逃さないこと。状況により生っぽい雰囲気を出したいので、フラッシュが使えること(付いていること)何より、この場所に住むこのユニークな人間たち、その生き方、関係性、感情を撮りたい

僕はそのような条件を吟味し、ひとつのカメラに行き当たった。それがリコーGRのデジタルだった。

上記の条件を全て満たしたカメラだった。

3ヶ月間の共同生活をドキュメントした写真は、「スナックあき」として私家版の写真集として帰結した。

当時の住人やその周辺の人々と、現在も緩く関係が続いていることが嬉しい。

たとえ短い時間であっても、人と住む、そして人を撮るということは、その時間を過去にしながらも、これからの未来を作ることなのだ。

その時起こった様々な良きこと悪しきことは、今も暖かく心に残り続けている。それはおそらく、死ぬまで続く暖かさなのである。

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snack aki 2012

GRで撮影した写真

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空の色がとてもナチュラルに出る。

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フルプレススナップという機能が好きで、押し込むと設定したピント距離で、シャッターを切ることができる。フォーカスラグが無いので、瞬間を逃さない。

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マクロモードもついているので、スナップだけでなく、このような写真も可能だ。

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28ミリのレンズ感が、風景写真で栄える。ストリートスナップの画角でもある。更に、iPhoneとほぼ同じ画角でもあるので、スマホで写真を撮るのに慣れているユーザーには使いやすいかもしれない。

スマホに飽きて、ちょっと本格的に写真したいという人にもGRは良い選択だ。その小ささと軽さが持ち歩くのを億劫にさせず、いつでも連れて行ける。

GRを使っていると、常に持ち歩くので、自然と写真を撮る枚数が多くなる。

数撃ちゃ当たると良く言うけれど、名作は日常の中から生まれる。枚数によって、その機会と可能性は格段に上がるのだ。

僕が今回の記事で使用していたのはGR digital 3。その後4と出て、センサーがAPSCとなり「GR」、その二型が最新の「GR2」である。
digital3でもこれほど写っていたので、新型はより良いのだろうなあ。
(2018年時点。現行はGRⅢである。参考 http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/products/gr-3/)


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