見出し画像

Where are you from?

今回のテーマ:東日本大震災

by  らうす・こんぶ

Where are you from? (出身はどちらですか?)

初めての人と会ったときなどにごく当たり前に交わされる出身地を尋ねるやり取りに、あるときから軽い緊張を伴うようになった。

私は福島県の出身だ。それまでは聞かれれば普通に答えていたが、東日本大震災以降は、出身を尋ねられると一瞬答えが出遅れるようになった。そして「福島です」と答えると、今度は尋ねたほうがハッとした表情になる。

私が出身地を尋ねられて一瞬躊躇するのは、その問いに答えるとその場にわずかな緊張が漂うことがわかっているからだ。もちろん誰が悪いわけでもない。でも、「出身は福島です」と聞いた人は、「ああそうですか。私は大阪です」のように会話を続けることはできなくなり、そのあと「ご家族はご無事でしたか」と返すしかなくなる。

そして私は、「さいわい実家は原発からは離れているので、家族は無事でした」と答えることになる。それが事実なのだからそう答えるしかないのだが、いつもこう言ったあと、私は軽い居心地の悪さのようなものを感じる。あのとき大勢の人が亡くなり、今も自分が生まれ育った土地に戻れないでいる人が多いのに、「私の家族は無事だった」と笑顔で答えることはできない。

私の出身を尋ねた人は、話の流れで私の家族の無事を尋ねないわけにはいかないと思いつつも、もし、私の家族の誰かがあの震災の犠牲になったという事実があったら、どういうことばを選んで返せばいいだろうかと悩むに違いない。こういうことはこれからもずっと続くだろう。

                🔳

私は東日本大震災の直後、福島は広島、長崎と同じような長く続く苦しみを背負うことになったのだと思った。でも、次第に、福島が背負わされたものは広島、長崎より、むしろ沖縄の人たちが戦後ずっと背負わされて来たものに近いと思うようになった。

先日、沖縄に関するドキュメンタリーフィルムを3本見る機会があった。その中の1本は「沖縄の基地なんか知らないよ 東京渋谷にて」。沖縄出身の女性が、1960年代とそれから30年以上の時を経た1990年代の終わり頃、同じ渋谷のハチ公前で、通りかかる人たちに同じ質問を投げかける。

「沖縄には日本全土の米軍基地の何%があるか知っていますか」

この問いに対して、60年代の渋谷では自分の考えをはっきり述べている若者が多いのが印象的だった。沖縄にばかり基地が集中するのは不公平だという人もいた。方や、90年代終わり頃の渋谷では、沖縄には日本全体の米軍基地が75%が集中していると答えられた人は何人かいたが、沖縄の基地問題に関心がある人は非常に少なかった。

自分の生活に直接大きな影響があると思ったらもっと違った答えが返って来ただろう。でも、沖縄は遠い。渋谷の若者の答えの底には沖縄に対する無関心が横たわっているのを感じた。でも、それは私も同じで、マイクを向けられたら沖縄に対する無知と無関心を恥じつつ、「今のままでいいとは思わないけど、実はどうしたらいいかわからない」と答えるしかないだろう。理想論ならいくらでも言える。

もし、「沖縄に基地が集中しているのは不公平だから、この不公平は解消すべきだ」と言ったら、私は自分が言ったことばに責任を持って行動しなければならないだろう。そうしなければただの偽善者だ。でも、自分には沖縄に行って抗議行動に参加するような行動力はないことはわかっている。私ができることは、ドキュメンタリーフィルムを見て沖縄で何が起こったか知ることくらいなのだ。

で、思った。渋谷のハチ公前で、通りかかる人にマイクを向けてこんな質問をしたとしたらどうだろう?

「2011年3月11日に何が起きたか覚えていますか」

「主に大都市で消費される電力を、地方の原発が生産していることをどう思いますか」

「震災後、今も生まれ育った土地に戻れない人が大勢いることを知っていますか」

「汚染処理水を海洋放水することについてどう思いますか」

簡単には答えられないことばかりだ。私もどうしたらいいかわからない。だから、みんな思考停止になって現状を追認する。沖縄の基地問題と福島の原発事故の構造は同じだ。簡単に結論が出ない問題は、みんなわからないと言って考えるのをやめる。とりあえず、沖縄は遠いし、福島が抱える問題も、今は東京に住む人たちに直接的な影響がない。当事者じゃない人たちにとって福島も沖縄も広島も長崎も人ごとなのだ。

そして、私は、福島のことを考えるとき、いつも自分がイソップ物語に出てくるコウモリになったような気持ちになる。

福島県の沿岸部で今も原発事故の影響下に暮らしている人たちに対して「私も福島県人です」と思いつつ、でも現実には大変な体験をした人たちの気持ちを想像することしかできない。しかも、今私は東京に住み、送電線ではるばる運ばれてくる地方で生産された電力を消費して快適な生活を送っているのだ。後ろめたさを感じながら。


らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote: 

昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio"
「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?