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日本映画祭とニューヨーク

今回のテーマ:ニューヨークと映画

by 河野 洋

日本に生まれ、子供の頃はもっぱら野球とサッカーに明け暮れた私。それが、どう転んだか、ここニューヨークに30年近くも腰を据え、祖国を外から見ている状況に、未だに頭を傾げる。さらに、中学一年の時に人生を変えたロックとエレキギターと出会い、音楽一筋の人生を送るかと思いきや、何が転じてそうなったか、マンハッタンで日本映画祭を立ち上げ、今年で10周年を迎える。この事実は、正直なところ、世界の七不思議に入れたいくらいである。

ニューヨークを舞台にした映画はたくさんあるし、映画祭も沢山存在している。しかし、筆者が知る限り、ここを拠点にする日本映画祭は現在のところ「ジャパンカッツ」と友人たちと共に設立した「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト(NYJCF)」の2つしかない。しかも、ティーンエイジャーの頃から外国がぶれしていたこともあり、邦画などには全く興味もなく見向きしなかったのに、ハリウッド映画ではなく日本映画を一生懸命、宣伝しているのだ。

そんな自分が日本映画を真剣に見るようになったのは、ニューヨークに住み始めて数年が過ぎた90年代後半だった。ニューヨークが日本映画に目を向けさせたのだ。それは、スクリーンの中にしか存在しなかったアメリカが立体的に自分を包囲し、逆に日本人や日本文化を客観的に見始めたから他ならない。それは、映画の主人公に自己投影する行為や、英語で話している自分を傍観している感覚とも類似している。だから、昔は距離を置いていた日本映画の巨匠、黒澤明の世界に陶酔したり、小津安二郎の映像美に心酔できたのだろう。今でも小津監督の名作「東京物語」は大好きな笠智衆や原節子が出演していることもあり、心から痺れる。

映画とは、監督が頭に描くイメージを具現化し、役者であれば二人目の自分を作り出すような、つまりは製作者(クリエイター)全員が新しい自分を見つける為の総合芸術と言える。存在しない世界を意図的に作り出すことで、自己表現の最たるものを持って、夢、理想、空想、妄想を具現化する。その世界が常に観客の心に響くかどうかはわからないが、人間の創造力が計り知れないことを学ぶには映画は非常に優れた百科事典だと言えるだろう。

アメリカで新しい自分を見つけた私は、どんな映画の中にも容易に飛び込むことができるようになり、以来、映画の旅を続けている。今、日本映画をアメリカで紹介する映画祭に携わっているのは、当然の活動だと思っている。そして、いつも新しい映画作品との出会いがある。これがたまらない。それは、社交的にパーティーを楽しんだり、ロマンティックな恋に落ちる類のものから、孤島に漂流したり、強盗犯になったり、殺人鬼に殺されそうになったり、と言う強烈なものまである。映画の本質はそういうものだ。自分は何にだってなれる。だからだろう、ニューヨークで日本の映画祭を開催するという、少し突拍子もないことが自然体でできてしまうのは。

映画を観ると言うことは、赤の他人と一日一緒に生活するようなものだ。拒絶反応が出ることもあれば、楽しくて仕方がない時もある。ただ良くも悪くも、それを体験することができたなら、あなたの世界は無限に広がり、思いがけない発見をさせてくれ、思いもよらなかった未来をもたらしてくれる。10年前に始めた映画祭がきっかけで、今では4つの映画祭の運営に関わっている。正に未来は「未知との遭遇」、映画は「アカルイミライ」の道しるべ、と言うことである。

公式ウェブサイト:http://nyjcf.com
映画祭サイト:http://watch.nyjcf.com

2018年6月6日、ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト 2018の会場アジアソサエティ(725 Park Ave, NYC)にて、写真(敬称略、左から):ニック・ヒューズ監督(作品:Hatis Noite)、梶岡潤一監督(作品:杉原千畝を繋いだ命の物語 ユダヤ人と日本人過去と未来)、香純恭(作品:First Samurai in New York)、鈴木やす監督、ジュン・キム(作品:ザ・アポロジャイザーズ)、河野洋(筆者)

河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。

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