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春秋日米

今回のテーマ:秋といえば

by 河野 洋

学校や会社で言えば、日本は春に、アメリカは秋に始まる。自分が日本人だからかもしれないが、これまでの人生において、旅立ちのような大きな転換期は春に集中していた。生まれたのも、結婚も、会社を設立したのも、人生初の海外一人旅の出発も春だった。日本人だからか、春に生まれたからかは定かではないが、何か新しい始まりが春ばかりというのは面白い傾向と思う。

逆に秋は、変化や成長の季節だと思っている。人生において、これまでの引っ越しのほとんどが秋だったし、ニューヨーク・シティ・マラソンに初挑戦したのも秋、若い頃からロックやポップスに没頭していた私が90年代後半に傾倒したメトロポリタン・オペラ、ニューヨーク・フィルハーモニックなどの音楽芸術シーズンも秋だ。オペラやクラシックが自分の音楽観を大きく広げたことは言うまでもない。ちなみに娘たちがニュージャージーの現地校へ通い始めて、自分にとって9月は新しい出発を感じさせる要素が加わったが、やはり自分にとって、秋は始まりというより、変化をもたらしてくれる季節に思う。

中でも「変化」を感じさせてくれる1つが紅葉だ。これはニューヨークだけの現象ではないが、春に芽が出た新緑が、秋の訪れと共に情熱的な紅に染まっていく変貌ぶりは、人間が成熟する過程をビジュアル的に表現したかのように思えてならない。青二才の青年が経験を積み、還暦を迎えた時に赤で祝うのも人生における成長の象徴だと言えるのではないか。

この紅葉に加えて、アメリカの秋の風物がオレンジのカボチャである。そう、ハロウィンの主役たちだ。この10月31日の一大行事に向けて、早いところは9月からジャック・オー・ランタン(かぼちゃ顔)を家の玄関などに守護神のように飾っていく。色合い的には、サイズこそ小ぶりだが、日本の家の庭に柿の実がなるものだろうか。何れにしてもビル群が並ぶニューヨークの都会で、秋を感じられるのは、このハロウィンカラーが街を彩るからかもしれない。

そしてアメリカの秋に「怖い」イメージが浸透してきたのは、1978年に公開されたホラー映画「ハロウィン」がきっかけではないだろうか。スプラッター映画の原点であり、今なお続く同ホラー映画シリーズの出現により、「13日の金曜日」や「エルム街の殺人」の後続を生んだ。ホラー映画ファンの私にとって、秋は紅葉の紅というより、ある意味、真っ赤な鮮血がちらついてしまう。

そのイメージを払拭してくれるのが毎年11月の第一日曜日に開催されるニューヨーク・シティ・マラソンである。血なまぐさい印象は
一気に消え去り、熱き血潮は、ゴールを目指すランナーたちの脚力となって、日々のトレーニングの成果を見せるエネルギーを生み出す。それは、汗となり、感動の涙となり、応援するニューヨーカーたちに勇気と希望を与えたランナーたちは足を引きずりながら翌日の筋肉痛と戦う。

そして年末が近づく11月下旬にやってくるのが、多くのアメリカ人がターキー(七面鳥)を食する感謝祭だ。離れ離れになって暮らしている家族が一堂に会し、食卓に笑顔をもたらしてくれる。ただターキーが余りに大きく食べきれないので、その翌日から、ターキー・サンドイッチ、ターキー・カレー、ターキー・スープという、考えうるターキーを食材とした料理をしばらく食べ続けることになる。グーグルで調べてみたら、感謝祭の日にアメリカで食べられる七面鳥の数は約4,600万羽だとか。

ということで、僕の中では、秋は紅葉で始まり、感謝祭で終わる。日本は春に始まり、アメリカは秋に始まるわけだが、東日本大震災が3月に、同時多発テロが9月に起きたのも、もしかすると何かの因縁なのだろうか。

2021年10月6日

[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。

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