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枕を高く

今回のテーマ:住まい
by 河野 洋

これまで僕は度々住まいを変えてきた。全て自分の意思で変えてきたのではない。家族の事情、出会いと別れ、賃貸期限の更新など理由はさまざまだった。逆に何十年も同じところに住まいを構えている人も沢山いる。引っ越さない理由も決して一つではなく、自分ではコントロールできない家庭や仕事の事情が大きく関係していることが多い。ただ理由はどうあれ、住まいには、自分だけのプライベートな空間や時間が欲しいし、それは安心して眠れる場所、心からリラックスできる時間、自分自身でいられる空間であって欲しい。
 
そして、このスペースが侵害されると、人は旅行をしたり、引っ越したり、時に家出をしてまでも、自分自身を失わないように努力する。しかし、2020年厄介なことが世界を襲った。新型コロナウィルス感染により、そうした選択や自由を奪われてしまったのだ。コロナ前でさえ、我々は既に仮想現実と言う世界に「住まい」を求め始めている人がいたのに、さらにそれを助長する形となったように思う。
 
この「住まい」は、時間の概念が希薄になり、住所不定となり、本名すら不要の、また誰でも他の人になりすますことすら可能な、巨大なカプセルホテルのようなもので、特定の場所に行っても、同じ人がいることがない。私は、これは人とのつながりを放棄しうる可能性も秘めている非常に危険な「住まい」だと危惧せずにはいられない。
 
住まいとは関係ないが、パンデミックにより浸透したマスクも、その一片を担っているように思えなくもない。顔の半分を被ってしまうため、友人や知人とすれ違っても気がつかないまま、通り過ぎてしまうことが多々あるからだ。ご縁があって、つながった人たちとの再会のチャンスを、無意識のうちに見逃してしまう事は非常に残念なことだ。なぜなら、我々は人を結ぶご縁を大切にするべきだと思うし、そのご縁と共に人生を歩いていると思うから。


 
人類は今、様々な点において、岐路に立たされている。仮想現実やマスクは、我々のアイデンティティーを欠如させ、人と社会の人と社会つながりや人と人のご縁を奪い取りかねない危険性を秘めている。
 
人は自分の「住まい」があるから、一人暮らしでも、一緒に住む家族がいても、自分の行動にも責任を持つ。そして、その責任感が人を作り、その人の佇まいを自然に醸し出していく。その人に佇まいがあるかぎり、「住まい」はどこにあろうと、枕を高くして寝られるだろう。誰もが熟睡できる住まいを持てる社会、それが、いま求められているように思う。
 
2022年9月11日
文:河野洋

[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭をスタート。数々の音楽アーティストのライブ、日本文化イベントを手がけ、米国日系新聞などでエッセー、コラム、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。


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