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以前大切だったこと、今では無頓着なこと

今日はよく昼寝をした。家は本当に落ち着く。家にいる時だけ、自分の心に素直になれる。やはり外で道を歩いているだけでなんとなく気を使う場面は多い。

私は手帳に日記をつけるのが好きだ。好きだったと言った方が正しいのかもしれない。今はなんとなく記録を続けているだけだからだ。

うつ状態になり高頻度で病院に通っていた頃は、人に話せない気持ちが多くあった。度を超えた落ち込みとか、怒りである。言える相手は主治医とカウンセラーくらいであったため、特に通院の予定がない日には怒りを日記に認めていた。

当時の意欲的に日記を書こうと思う気持ちが、羨ましくなる時がある。やはり、紙に濃度の高い人生の記録が残っているのは面白いと感じるからだ。

デジタル時代に逆行した、誰に見せるわけでもない、自分だけの記録。なんだかとても尊いもののように感じる。

当時はよく、手帳が好きな方がアップロードしている動画を見ていた。手帳の中身を公開しているもの、おすすめの文房具、ノートのサイズの比較、シールやマスキングテープの紹介など、内容は様々だ。

私の部屋には手帳が好きだった形跡が数多く残っている。シール、マスキングテープ、メモ帳、付箋。また、システム手帳。

自分に「今でも手帳が好きだ」と言い聞かせることがある。1度打ち込んだ趣味を手放すのは、怖いことなのだろうか。

昔のように紙の手帳に日記を書くことにたいして気持ちが前のめりでは無いのに、自分はまだまだ手帳が好きだと言い聞かせる。

現状維持バイアスとよく言うけれど、まさにそれに陥っている。距離を置かないとスッキリしない出来事を前に、ズルズルとしがみついている。

気持ちはいつでも変化を恐れているのだろう。何か新しい趣味にハマりたいと言う割に、急に面白いアニメが目の前に現れると「まってまってまって」と理解が追いつかなくなる。テンパった頭で、一応、現状とその先を予想しようとする。

今の私はおそらく、手帳を嫌いになった訳では無いけれど、特に熱がある訳でもないのだろうと思う。

その気持ちをそっとしておくに越したことはない。気持ちを強制すると、結果嫌いになりかねない。また好きになる可能性を捨てたくはない。

昼寝をして気持ちがスッキリしたことで、身の回りの断捨離がしたくなったのかもしれない。定期的に趣味の現状について見直すのも、悪くない。



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