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39日目・遊びを楽しむための余力の大切さ

久々になったが、「1ヶ月書くチャレンジ」をしようと思う。

Day.2「今学んでいる事」

今私が学んでいることは、遊びを楽しむ余力の大切さだ。体調を崩して、頑張ってきたつもりだったことが全て消えたように思えた時、とにかく時間だけが手元に残った。

今まであれほど自由な時間を求めていたのに、やるべきことが目の前から消えたことで、向かうべき方向が分からなくなった。そこで、当時の私は能動的にオタクへ回帰した。

それから2年以上が経過している。今現在、うつが回復傾向にあるからこそ、自戒を込めて無理をしない選択をしたいと日々思っている。余力を残した状態で生活を回すことが、より回復へ向かう最善の方法だと感じているからだ。

1日1つを積み重ねることが大切だという話をよく聞く。3年前の私は(1日3つを毎日続けた方が良いのではないか)と思って疑わなかったが、初めから3を目標にすると本当に続かないのだ。

現在この日記が続けられている理由として、とにかく毎日時間に余裕があるという点が挙げられる。今日は体調が最悪だなと思ってから「今日は体力がないのでこれで終わりです」と書いてnoteを上げる時間がある。

これならハードルは極限まで下がる。文字数も特に規制を儲けていない。体調や体力が追いつかない時には300字程度で終わらせてしまう。ツイート2つ分程度の文字量だ。

普通に通学をすることは、本当にすごいことだと思うのだ。私にとっての出来なくて当たり前を、続けている人がいる。それってすごい事だと思う。

小中高校では基本的に少なくとも毎週5日間の登校日がある。1日が学びだけで半分くらい潰れる。それを暴れて抵抗せずにこなすというのは誰でも簡単に出来るものでは無いと思う。

私はそんな学び方からドロップアウトした。初めは悔しかったけど、次第に思考の整理がついて、今は遊びを楽しむ余力ができた。それも薬や主治医の支えがあったお陰である。

生活を繰り返すうちに、余力の幅がどんどん大きくなっている事を感じる。直線右肩上がりとは行かず、体調によって差は生じるものの、いくつも山を作りながらもじわじわと頭を使える時間が増えている。

それに伴って遊べる娯楽の幅も広がった。主治医の先生が「あなたは今病気なんだから、いくらでも好きなことをして良い。」と言ってくれたおかげで、私の心は楽になった。何も出来ない自分を肯定して貰えた嬉しさと、病気という免罪符が貰えたことで、肩の荷が降りた。

2年前は起きている時間一日中Twitterを見ていた。続いて1年前には絵を描くことが楽しくなってきた。そして現在はゲームに熱中している。生活を繰り返す度に、より有意的で大切な感情が帰ってくるのを感じる。

重いうつ状態の時は遊ぶ元気が無い事、話の都合上回復の過程をかなり小略している事を理解していただけるとありがたい。「学んでいること」を中心に話を組み立てた為、辛さの解説が省かれており、かなり言葉足らずになっていると思う。


遊びは娯楽だ。しかし学びがない訳では全く無いと思っている。自分なりのリラックスの方法や、興味のある娯楽を理解するには様々な娯楽に手を出して試行錯誤する必要があると思う。

時間はかかるが、好きなことを探すのは本当に楽しい。今後の人生で自分にとって楽しかったり、ほっと一息をつく方法が増えることは喜ばしい。

ゲーム、システム手帳、絵を描くこと、好きな食べ物、お菓子、服の系統。これからもたくさんの好きを増やして行けたら良いなと思う。今が忙しい人や、しんどい人、疲れが溜まっている人に、リラックスや疲労回復、落ち着きを持てる時間が訪れますように。

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