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「まとめる」ための最強の方法、質的統合法(KJ法)思考を身につける

これは、YAMAPエンジニア Advent Calendar 2021の12月2日の記事です。

「まとめる」って異常に難しくないですか? 


普段、ミーティングや会話、チャットなどで怒濤のように多種多様の事実・意見・感情と向き合っています。他人とのコミュニケーションで世界が広がっていくのは楽しい。しかしその一方で、やはり仕事を進めたり、ビジネスとして一定の解を出す必要がどこかで出てきます。いわゆる「まとめる」というヤツですね。
この「まとめる」という方法、正解がありそうで無い。とても難しい。以下のような場合に、どのようにまとめて次に進むべきか毎回悩んでいます。

  • KPTを行い、多様なProblemがあったとき

  • 新機能を触っていただくユーザーインタビューを行い、多くのフィードバックを得たとき

  • ブレストを行い、多彩なアイディアが出たとき

大量の要素を前に途方に暮れるスタート地点。なんとか事を前に進めようと「グループ化」をするのが常套手段です。そしてグループ化したら、「まとめる」! には一体どうすれば良いのか?
そもそもグループ化の方法もこれで良いのか、もっと正しい方法があるのではないか? そもそも正しいとは何か?  ISSUEより始められているか? そういえば昨日の晩ご飯何食べたっけ? あ、魚だ、いやそれは一昨日だ、などと思考がどこかに行ってしまうことも多くあります。

何らかの力が働きまとまる結論の図

この「まとめる」というとても重要なプロセス。「なんとなく」やっていませんか? このプロセスの羅針盤となる、確かな方法論を知りたい・・・そう願うのは当然のことだと思われます。
ということで、今回は「まとめる」技法、「質的統合法(KJ法)」について書こうと思います。

KJ法との出会いと旅の始まり

私がKJ法を最初に知ったのは、恐らく振り返り(レトロスペクティブ)関連の情報を収集していたときだと思います。KPTを行うときに、多くのファクトがあり、多くのKeep、Problemが提出される中で、それらをとりまとめる方法として「KJ法」が紹介されていました。
また、最近「UXリサーチ」の始め方・方法論について調べていました。その中で『はじめてのUXリサーチ ユーザーとともに価値あるサービスを作り続けるために』で「質的データの分析手法」としてKJ法が少し紹介されていました。

『はじめてのUXリサーチ ユーザーとともに価値あるサービスを作り続けるために』より引用

様々な場面で出てくるKJ法。ただ、ざっくりした概要の紹介で終わることが多いのが事実です。実際に踏み込んだ内容までを捉えることができないまま。あらためて「まとめる」技法を知りたい、身につけたい! という欲望から、原典の文献から情報を得る旅にでました。

KJ法とは何か?

まずはwikipediaから教科書的な解説を引用。

KJ法(KJほう)は、文化人類学者の川喜田二郎(東京工業大学名誉教授)がデータをまとめるために考案した手法である。KJは考案者のイニシャルに因む。
データをカードに記述し、カードをグループごとにまとめて、図解し、論文等にまとめていく。共同での作業にもよく用いられ、「創造性開発」(または創造的問題解決)に効果があるとされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/KJ%E6%B3%95

もともとは、文化人類学のフィールドワーク(実際にその地域に行ってインタビューを行い、話を収集する方法)から得た情報をどのように「まとめる」か? ということから発展した方法のようです。
その方法を文献として著されたものが、1967年に刊行された川喜田先生の著作『発想法』。

なんと半世紀、50年以上の前の著作です。それが現在も使い続けているあたり、確かな方法論と枯れた技術であることが覗えます。多くの人が使い続けた、人類の英知であるこの最強の「まとめる」方法、知らないと勿体ない! ということで解説していきます。
なお、「KJ法」という名前は、同名の別の方法論が登録商標として存在するということで、「質的統合法(KJ法)」と記されることも多いようです。この名称も、「定質的な情報(定量的ではないデータ)を分析・統合する方法」として分かりやすいと思います。ただ、一般的にITの世界では「KJ法」とただ呼ばれることが多いため、この投稿の中では「KJ法」で記します。

KJ法の概要と「なんちゃってKJ法」

KJ法の概要については、wikipediaに以下のように記述されています。

KJ法は4ステップからなる
1 カードの作成1つのデータを1枚のカードに要約して記述する。(※1枚に1つのデータだけ。複数書き込まない。)
2 グループ編成数多くのカードの中から似通ったものをいくつかのグループにまとめ、それぞれのグループに見出しをつける。
3 図解化(KJ法A型)
4 叙述化(KJ法B型)
様々な用途に合わせて色々なサイズのカードが用意されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/KJ%E6%B3%95

で、これが誤解を招きやすいところ! ここだけを見ると「グループ化して線とか引いて、図にして、それを結論にしちゃえばいいんでしょ」という風に見えます。
これを「なんちゃってKJ法」とよく言われるます。冒頭で出てきた「何らかの力」ですね。

何らかの力が働きまとまる結論の図

いきなり結論になりますが、(私の捉え方ですが)KJ法において重要なのは「いかにデータそのものに語らせるか」です。言い方を変えれば「解釈者の思い込み(バイアス)を排除して、データを元にした結論に辿り着くことができるか」。
そのため、この「グループ化」「図解」「文章化」という作業を通してどのように思い込み(バイアス)を排除するのかが鍵になります。一見「なんちゃってKJ法」と同じようなプロセスに見えますが、実際のKJ法はこのプロセスをしっかりとしたルールに基づいて実行することによって、データそのものに語らせ、結論を導くことができます。
このプロセスを簡単に図示すると以下のような形になります。

KJ法の概要を表した図

ではここから、それぞれのプロセスについて簡単に記していきます。
なお、今回の解説は『発想法』を読んで抽出し、私が独自に解釈を加えた内容であります。省略した記述や、原本に無い記述もありますので、注意してください。気になる人はぜひ原典『発想法』をあたってください!

グループ化は「民主的」に行う

さて、ここに「多種多様な意見」が出揃ったとします。実際はこの出揃うまでも様々なプロセス・方法論があるのですが、場面によって異なるため、今回は割愛します。
出揃った情報をどう「グループ化」するか? 実はこのグループ化には大きな罠があります。それは「大分類」からやりたくなってしまうことです。「小分類」から「大分類」に分類するのが正しい方法です。『発想法』にもとても強調して書かれています。
この部分の記述は、面白いところなので長く引用します。

大分けから小分けにもっていくのはまったく邪道である。かならず小分けから大分けに進まなければならないのである。これがこの方法の決定的な問題点のひとつである。
<中略>
(大分類から始めるのは)その独断的な分類のワクぐみを適用し、そのできあいのワクの中にたんに紙きれの資料をふるい分けて、はめこんでいるにすぎないのである。これではKJ法の発想的意義はまったく死んでしまう。これに反して、小分けから大分けへ進む場合はぜんぜんちがう。吐き出された意見、情報それ自身が語りかける示唆に素直に耳を傾けていたらば、自然にこういうふうに編成されてきたということである。
これをたとえていうと、大分けから小分けへと進めようという我のあるところには、ヒットラーやスターリンのような心がある。つまり「自分の考えかたがいちばん正しい」ときめてかかって、「民衆はおれのとおりに従え」というのとおなじである。小分けから大分けに進む心は、「民衆の語るところに耳を傾け、それに素直に従った結果、このようにまとまった」ということである。両方のやりかたは、その精神においてもまったくあべこべである。そしてこの問題は、単なる「たとえ」以上に、じつは現代の民主主義の根本に触れる点なのだ。

川喜田二郎『発想法』より

話が大きくなってきました。この辺りの川喜田先生のたまに暴走するメタファーのセンスはとても面白く、この本の読みどころの一つであります。
さて話は戻ると、以下の図の右のに大分類から行ってしまいがちなのですが、これは「あらかじめ持っていた思い込み=バイアス」に基づいて分類を行ってしまうことの等しい、ということが注意点です。

先に枠組みを決めてしまうのではなく、1つ1つのデータに耳を傾け、「親近感を覚えるもの」を近くにしていき、小グループを作っていく。これが重要なところです。
さらにこのとき、「グループの名前を先に付けない」のも重要なことのようです。名付けをしたくなるのをグッとこらえて「親近感を覚えるな」というものを集めた後、「なぜこのデータを集めたのか」と自分に問いかけて、それを「一行見出しにしていく」、これが重要なことのようです。
この作業を繰り返し、中グループから5〜10グループの大グループまで集めたらこの作業は終了となります。

関係性を「発見」していく図解(A型)

ここから「図解」に入っていきます。KJ法の中ではこの図解という過程は「A型」という独自の名称で語られているので、ここでは「図解(A型)」と記述します。同様に叙述(文章化)は「B型」と呼ばれています。
ここでは、前に作ったグループ化を元に、位置関係を動かしていきます。グループ化とは異なり「大グループから小グループへ」という方向で行っていきます。
ポイントは目の前にあるグループの関係を物理的に動かして理解しようとすること。「これが落ち着きの良い空間配置である」ということが見つかるまで、動かしていきます。実際にどのような配置になるかは、やってみないと分かりません。三角になることもドーナツ状に成ることも、放射状になることもあります。とにかく動かして「落ち着く」「しっくりくる」空間配置を見つけていきます。そして、それらの関係性を線を引いて示していきます。

川喜田二郎『発想法』より、図解(A型)を施した図


よくあるまとめる過程ででは、この図解を一度作ったグループを動かさずに、線だけを引っ張って終わらせることが経験上多いです。これも予め決められたバイアスで完成性を規定してしまっていることになり、データに耳を傾けることになりません。KJ法では積極的に動かして「理解できる」配置を作っていき、関係性を発見していくことが重要です。
ただ、ある程度落ち着きのある空間配置が見つかっても、それが正しい理解かどうかは自信がないことがあります。その場合は「口に出して空間配置が意味することをつぶやいてみる」ということによって検証ができるようですい。もし、一貫性のある説明ができないのであれば、まだ関係性が発見できていないということなので、再度動かしていきます。
この過程を経ることによって落ち着きのよい空間配置が見つかったとき、「まとまった」という感覚を得ることができます。どんなに雑多な意見の集積でも、きちんと手順を踏んでいけばこのような感覚を得ることはできるようで、川喜田先生も励ましてくれます。



このようにして、図解ができあがったときに初めて、いままでばらばらであいまいであった雑多な事柄が、はっきり意味の構造として、「わかった」という感じで訴えてくる。それまでは、はなはだしい場合には、「収拾がつかない」という不安感に襲われていたものが、その不安感から一挙に解放されるのである。じっさい私は、KJ法に近い方法で一〇年くらい実行してきたのちでも、たとえば、めちゃくちゃに行なわれた討論結果をまとめるときなど、はたしてそれらがまとまるのかどうか、毎度毎度新鮮な緊張と不安に襲われたものである。

川喜田二郎『発想法』より


文章化(B型)により、関係性を「あきらか」にする

図解化されたものを元に、これを文章化する作業が「B型」になります。この過程を経ることによって、最終的な結論に行き着くことになります。この文章化によって、関係性のメカニズムや性質、強さなどを「あきらか」にします。
これもよくある「なんちゃってKJ法」では、図解化されたものを「言葉にする」という単純で定型的なプロセスだと勘違いされますが、重要な2つのポイントがあります。
まず1つが「文章化によって図解化をチェックする」というチェック機構です。文章化を行うと。「まとまった」と思っていたものがうまく繋がらない、文章化できない違和感を感じることがあるようです。そのようなとき、図解に戻ってやりなおすことが重要です。

B型で文章化すると、ときどきわかっていたはずの話がうまくつながらないという経験をする。図柄の上では関係が深いかのように線でつないでみて怪しまなかったのに、意外なことに文章化するとその文章がつながって叙述できなかったという行き詰りの生ずることが、しばしばある。
<中略>
つまり「このように図解したのは誤りであった。改めてこのように図解を改訂すべきであった」ということを、せっぱつまって発見するのである。

川喜田二郎『発想法』より

このように「図解」と「文章化」は相互補完的なプロセスであり、固定されたものではないことが注意点です。なぜこのように異なるプロセスを行うかというと、「図解」は関係性を「発見する」ために優れた思考方法であり、「文章化」は関係性を「あきらかにする」ために優れた思考方法であるためです。強みのある別種の思考方法を組み合わせることが、より質の高い結論を導くための重要なポイントなのです。
この文章化においては、ファクト(叙述)と解釈を区別すること、そしてそれをはっきりと表現することも重要なポイントです。データを取りまとめるとき、それがデータ自体が語っているファクトなのか、それを元にした解釈なのかを混同せずにきちんと記録していくことが、質の高い結論を導くための重要な方法です。
間違えがちなのが、「解釈を入れてはならない」ということではないことです。解釈を書くのならば、それに伴うファクト(叙述・データ)を区別して記述した上で、どれくらいの精度の解釈なのかも含め記述していくこと。川喜田先生はこれに対して極めて厳しい態度で解説しています。


たとえそれを書きおえた瞬間に自分が死んでも、そこまで書き進めてきた文章の内容が、叙述と解釈の区別の上で、他人にも誤解なく伝わるはずであるという態度で書くべきなのである。このように区別してこそ、一〇年後二〇年後の自分(それは、いわば半ば他人にひとしい)にとっても、誤りなく使える資料となるのである。この意味でも、われわれは一瞬一瞬死に、一瞬一瞬新しい生を迎えているというべきであろう。

川喜田二郎『発想法』より
図解(A型)と文章か(B型)を行き来して、全体を明らかにする


まとめと補足情報

ということで、このようなプロセスを経て、KJ法で雑多で大量の定質的データをまとめることができました。
ポイントとしては以下の3つがあると思います。

① データ自体に語らしめるため、グループ化は小さなものから行う
② 関係性を発見していくため、積極的に動かして図解する
③ 文章化と図解の思考法を相互補完的に利用し、関係性をあきらかにする

これまで「なんとなく」やっていたプロセスが明確な方法論になり、よりどころができてきました。私も、KJ法を学ぶ旅は始まったばかり。今回学んだことを実際に実践していきながら、さらに理解を深めていきたいと思います。また新たな発見や知見が溜まってきた際は、記事を投稿しようと思います。
なお、『発想法』の時代はアナログな手法(付箋など)でやっていましたが、現代でやるには、保管・管理に便利でリモートワーク化でも利用できるホワイトボードサービス的なものを使うと良いと思います。付箋を積極的に動かしていったり、関係性を記述するにも便利だと思います。
私はmiroを利用することが多いです。

他には、デザインツールであるFigmaがリリースしている「Figma Jam」なども使い勝手が良いと思います。



実際には『発想法』には他にも多くのポイント・ヒントや例が書かれているので、詳しく知りたい方はぜひ原典にあたってみてください! また、関連する書籍をいくつか読むことも理解が深まると思うので、紹介していきます。

参考文献


発想法の続巻。発想法の刊行後のさまざまな発展の内容を見ることができ、俯瞰的に発想法を知るには良い本です。

KJ法の川喜田先生に学んだ方が書いた著作。地方再生や人材育成などにKJ法を利用しており、その実践的な内容を知ることができる。他にも発想に関するさまざまな知見を得ることができる。

任天堂の方が書かれたコンセプトメイクをKJ法的に行う内容。KJ法を利用したワークショップを会話をベースにシナリオで紹介しており、ファシリテーションも知ることができる。


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