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演偽生迷

こじつけ四字熟語にハマっております、ネウです。

最近は「Suy」と名乗りながら微妙にネット活動をしております。(すぃ、と読みます。多分『C』と『すい』の間くらいの音だと思います。自分でもよくわかりません。)

タイトルにもあります通り、人生は偽物の僕を演じ、ぐるぐると迷いながら生きるものだと思うのです。


演偽

僕は誰かに期待された通りの『僕』を演じるのです。それは僕の望んだ自分なんかではなく、むしろ、本当の僕とは真逆の僕なのかもしれません。

学校では、周りから期待されるような優等生を演じます。
家では、家族から期待されるような優等生でいい子を演じます。
ネットでは、それなりに性別のわからないような人を演じます。
自分にも偽りの自分を演じます。

嘘と本音でまみれた世界で、僕は嘘ばかりを吐いて、自分にさえも嘘をついて生きています。

しんどくないよね、と自分に言い聞かせて、自分に無理をさせて生きています。
大丈夫、できるよね、と自分に言い聞かせて、余裕がなくてもできるように無理をさせています。

この世界にいるどんな僕も結局は偽物なのだと思います。

どれが本物かわからなくなるくらい僕は自分を偽りすぎました。

自分を認めようにも、どの自分を認めればいいのかわからなくなりました。どんな僕も認められるほど、僕は出来上がった人間ではありません。

どの僕を見ても、どこかしらに欠陥があって、その欠陥を補うために別の僕がいて、またその欠陥を補うため...なんて堂々巡りな偽りばかりの僕しか、この世界には存在していないのだと思います。

ただただ演じるのではなく、自分さえも偽ってしまう生き方なんて。


生迷

生命、をテーマにクラスで創作ダンスをすることになりました。

ざっくりと僕の人生を振り返ると、どの時期も順風満帆に行ったことなどなく、常に何かしらの闇を心に抱えていました。
不登校になったり、保健室登校になったり、友達が一人もできなくて悩んだり、自分が空っぽだと嫌いになったり、夢も何もないんだと絶望したりして生きていました。

僕にとっての生命や人生、というのは、選択の結果なのだと思います。

生きる、という選択をしたから今日があるのだと思います。
生きて学校に行く、という選択をしたから僕は毎日学校に行くのだと思います。

毎朝、起きて、「今日も生きよう」と決めるから、その日の僕が生きるのだと思います。

選択には迷いがつきものです。
朝起きて、生きたくない、と思うこともあります。生きるべきではない、と思うこともあります。
でも、結果として生きてしまっています。

小さい頭でぐるぐると悩んだ時に、生を持っているなら悩みも迷いも当たり前のようにあって、悩んでしまった時点で、迷ってしまった時点で、もう生きたいと無意識に思っているのだと思います。

迷いも、生命には必要で、クルクルと答えの出ないまま踊っていて。


演偽生迷

今日も今日とて、僕は自分を偽って、そんな自分でいいのかと迷って、どんな生き方をすればいいのかと迷って、そんな僕をひた隠しにしたくて演じて、生きています。

ネウでした。また。

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