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近況

生きるエネルギーが小さくなったり大きくなったりと、安定しない毎日を送っている。
でもまあ、12月よりは思い詰めることも無くなったので、よかったのかもしれない。
なんだか冴えないなあという感覚はずっと消えないけれど、きっといつかは心晴れる日が来るだろうと信じてなんとか日々を過ごしている。

最近は睡眠時間が増えた。
寝ている間は何も考えなくて済むから、というと周りの人に心配されそうだけど、それも半分、あとの半分は、単純に寝ることが体にいい気がするから。わからないけど、せめて身体の健康は保っていたいというきもちの現れだと思う。

今日は、やろうと思っていたことは半分も出来なかった。
就活も、卒論も、ずっとずっとやらなきゃと思っていることは全く進まない。やらなきゃと思っている時点で、進まない運命にあるのかもしれない。このやらなきゃという義務感を、やりたいという願望に昇華できれば、きっと毎日「今日もここまでしか進まなかった」という落ち込みを抱えることなく過ごせるのかなあ。

ものすごく入りたいと思っていた会社から届いたあっけないお祈り。これまでいただいたお祈りの中では、かなり丁寧な文面だったけれど、やっぱり「〇〇さま」の名前の部分だけ変えて、一斉送信しているんだなということに気づくと、私は有象無象の1人なのだなということを痛感させられる。
かなり愛を込めた手紙を送ったはずだったのになあ。困るのは何が合わなかったのかがわからないこと。

まあまだまだ序盤。別にお祈りなんて今日はじめてされたことでもないし、こんなのでいちいち落ち込んでいても仕方がない。もしかして、するっと選考通って就活終わっちゃう?なんて考えが頭をよぎったりもしていたけれど、世の中そんなに甘くないということですね、教えていただきありがとうございます。
ダメもとで応募した会社だったし、切り替えよう、と思えるようになっただけ、進歩しているのかな。そうであることを願う。

ただ今日、やろうとしていたことは半分くらいしかできなかったけれど、「できたこと」から享受できた喜びはとてもとても大きかったから、良いとする。
生きてれば良いこともあるもんだなあと、すごく満たされた気持ちになった。

夜ご飯に適当に作ったチヂミ、おじいちゃんがおいしいって喜んで食べてくれたし、あれはフライパン返しって言うんだろうか、フライパンをくいっとやって道具を使わずに空中でチヂミをひっくり返すみたいなことが、思いがけずできるようになった。少し気持ちが上がった。

そうだ、今日はおばあちゃんがパクチーを買ってきてくれた。明日カレーにたっぷりのせておいしくいただこう。これで明日を生きる楽しみができた、よし。

最近の悩みは、このままだと就活と卒論が終わるまで、就活と卒論のために生きることになってしまいそうなこと。
私は複数のことを同時に進めるより、一つずつぐあーっと片付けていきたいタイプなのだけれど、そのせいで就活と卒論が終わったらこれをやろうみたいなことがどんどん増えていく。
でも実際はそれらって、就活と卒論をやりながらでもできることだったりする。し、私は就活と卒論をやるために生きてるわけではない。私の中には、就活をやる私、卒論をやる私だけじゃなくて、自分の人生を生きる私も存在するはずなのに、その3つ目の私がどんどん隅に追いやられている感覚。蔑ろにされている。
やりたいと思うことは、やりたいと思ったそのときにやるのが一番良いとわかっている。つべこべ言わず、やりたいと思うこと、今すぐにでもやりはじめたらいいのに、言い訳を並べ立てて後回しにしてしまうのはどうしてなんだろう。

明日はバイトだから早起きしなきゃなあ。睡眠時間がいつもより短くなってしまう。ああ本当に、私って寝ることと食べることばっかり考えているような気がするな、まるで子どものよう。

はじまった長期決戦。健やかに、自分の人生もきちんと楽しみつつ、後悔のない終わりを迎えられるようにしたい。
まだまだトンネルを抜けるのには時間がかかりそうだけれど、日常のちょっとした喜びを糧にしながら、がんばって生き延びていこうと思います。

恐れ入ります。