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30年ネットにいるけど知りあいは1人もいない。

珍しく時事的な話題。
ネットはTwitterの閲覧制限の話でにぎわっているが、常時つけているNHKでもニュースにしていたので、世間的にもそれなりに話題かもしれない。
私もTwitterはいくつかの科学系ジャーナルをフォローして情報収集に使っているので、念のために代替手段を考えた。
結局、Facebookの「ページ」という機能でペンネームでのページを作り、科学系ジャーナルのFacebookページを「いいね!」するとTwitterと同じようにタイムラインが作れた。

ネットで創作活動をしている人にありがちかと思うが、私も家族やご近所さんや会社の同僚などには隠してコソコソと創作活動をしており、リアルの自分がここで公開しているような文章を書いているということがリアルの知人に知られると「非常に恥ずかしい」。
書いている内容そのものは別に「恥ずかしい」わけでは無いが、リアルの自分は世間一般的にはただのパートをしている主婦だし、ここで書いているような内容ってありていに言って、なんか偉そうというか、「知識あります~!」って感じで、嫌ですよね?(笑)
さすがに私もそれくらいの客観視はできるし、リアルでの知りあいには私のこのような部分は知られたくない。Facebookではわずかだがリアルの知人とつながっているので、そちらには創作関連のものは持ちこめないと思いこんでいた。
しかし「ページ」機能は元の個人アカウントとは関係なく運用できるようなので、創作のペンネームで作っても問題なかったようだ。
幸い?私がTwitterでフォローしているのは全部それなりの企業アカウントであり、Facebookでも同じように広報活動をしているところが多いので、いざというときにはそちらに移動しようと思っている。

しかし、今回のことで久しぶりにFacebookにログインしたり、Twitter騒動を見たりしていて思ったのだが、私は30年もネットに繋がっているのに、ネット上でよく話す友人はおろか、相互フォローしているような知りあいも1人もいない。ここまでガチでネットぼっちなのは珍しくないだろうか?

よくオタクや陰キャなどと自称している人が「私はコミュ障だからリアルでは友達がいなくて、ネットでしか人と話せなくて~」のようなことをネットに書いていたりするが、ネットで話せるなら私よりは全然マシでは無いか?

私は1993年発売の富士通の初代デスクトップPC「FMV」を発売直後に購入し、すぐに「ニフティサーブ」というパソコン通信をやっている。その前から「オアシス」というワープロでパソコン通信をしていたので、パソコン歴よりパソコン通信歴のほうが古いくらいである。
当時のFMVはOSがWindows3.1で「秀ターム」という通信ソフトを使い、Javascriptを自分仕様に設定してモデムで自動通信してテキストをダウンロードしていたのだ。

ニフティサーブ時代はいちおう複数の知りあいもでき、オフ会などにも参加していた。なのでこの時代はいちおうネットぼっちでは無かったわけだ。

私がなぜそんなに早くからネットに繋がろうとしていたかというと、自分の趣味嗜好に近い人がまわりに全然いないからである。これはたぶん多くのネットで交流している人々が共感してくれる感覚だと思う。
しかし、過去から現在までネットで交流できている人々と私の違うところは、彼らはネットで自分の趣味嗜好と近い人々を見つけているが、私はそうでは無い、ということだと思う。

ニフティサーブ時代、私は主に「読書フォーラム」というところにいたのだが、そこで仲良くなった人は1人もいない。オフ会をしていたのは別の「パティオ」と呼ばれる小規模会議室で知り合った人たちとで、同じ居住地域なら参加可能のパティオでの知りあいなので、趣味嗜好が同じという人はいなかった。
ニフティのフォーラムのような大規模会議室ではスレッドの流れに沿って発言する必要があるのだが、私はそれが上手くできない。チャットのような勢いとノリでの会話も苦手だ。パティオは参加者が20人程度に限定されるので、その規模だとなんとか流れに乗ることができたが、それでも会話の流れを壊す発言をして浮いていることもあったと思う。

このように書くと「あ~なるほど。ネットで流行り?の発達障害ってやつですね?人と上手く関われないんでしょ?」と思われるだろう。確かにそのケはあるが、いちおう私はリアルでの人付きあいには特に問題が無い。
会社の仕事も上手くこなせるし、会社の人間関係や日常生活で困ったことも今までにまったく無い。脳機能に起因するコミュニケーションの問題で普通の雑談などに困るということは特に無いのだ。
確かに私はまわりから天然だ変人だと言われてきたし、自己中心的で他人に興味が向かない傾向があり、他人が話している話題のほとんどが私にとって興味が無い内容なので、そのような会話の流れに乗ることはけっこう難しいと感じる。しかしメル友など一対一の関係や少人数の関係であれば何を言わないでおくべきか対応できるし、特に問題なくコミュニケーションはできる。
しかし、大きな集団内で流行的な話題に乗っかるというのが私には難しい。

残念ながら私はネットでよく話題になるアニメ、漫画、ゲーム、ハリウッド映画、ドラマ(どの国のドラマでも)、TVのバラエティ番組、タレント、アイドル、お笑い、YouTuber・VTuber、飲食関係、(有史の)歴史、政治経済、特定思想、等々にほとんど関心が無い。
Twitterで流行る大喜利?的なものにも興味が無いし、そういう当意即妙的なことを考えるのが苦手だ。
わずかに動物と音楽だけはネットでの流行に興味を感じるが、それについてTwitterでつぶやくということも無いので、当然それが好きな人と繋がるということも無い。動物と音楽について語り合いたいわけでも無いし。

私は20代までは文学オタクだったので、その当時であれば文学と芸術の話題を好んでいたのだが、今は《卒業》してしまった。
西洋古典文学(特にドストエフスキーやトーマス・マン)や詩(特に20世紀前後のフランス詩と唐詩)、日本の近代小説(特に谷崎潤一郎)はそれなりに読んでいる。小5の時にアガサ・クリスティーにハマってからしばらくは海外本格ミステリも読んでいた。美術もルドンやモローやエッシャーが好きだし、クラシック音楽も好きだし、古典バレエの舞台も昔はたまに見に行っていた。漫画も高校生の時には藤原カムイが大好きだったし、藤子Fや諸星大二郎や星野之宣作品はSF小説よりも多く読んでいる。
しかしこれらはだいたい卒業してしまったので、今はそれについて語り合いたいというほどの情熱が無い。

今の私が好きで語りたいのは、このnoteで書いているような進化生物学に関連する話題、遺伝学(ゲノム学)、脳科学、古気候学、宇宙生物学などだが、私はそれらを専門的に研究しているわけでは無く、趣味として楽しんでいるだけなので、同じような人々と趣味的に気楽に妄想を語り合えると嬉しい。しかしネットにはそのような場所がぜんぜん見当たらない。

あるいは、今の私がやっているようなリアル科学を元にしたSF小説を書いている人たちのサークルでも有れば入りたいところだが、私はそれを見つけられない。
こないだRemNote関連でDiscodeに入り、今回Facebookでページを作ったので両者でそのようなサークルを探してみたが、今のところ発見できていない。(Discodeは若い人が多い感じやボイスチャット中心のシステムなど、私には敷居が高すぎる。)
今は異世界転生などのファンタジー小説が隆盛で、ガチのハードSFを趣味で書くような人が少ないのは理解しているが、ネットでぜんぜん見つけられないのにはちょっとビックリしている。

私は子供の頃から世間的な流行にはまったく関心が無く、スター・ウォーズ、スクールウォーズ、ET、エクソシスト、13日の金曜日、ジャニーズアイドル、チェッカーズ、等々が流行したときもまわりの皆の話は聞いていたが自分が興味を持ったことは無い。
たいていの(昭和の)日本人が見ている金八先生、北の国から、おしんなんかも見たことが無いし、トレンディドラマも朝ドラも寅さん映画も見たことが無い。ジブリ映画は夫が好きなのでたいてい見ているが、私は特に興味が無い。
一時期夫は海外SF小説にハマったので家にいっぱいあり、私も何冊かは読んでいるのだが、海外SFもけっこうファンタジーっぽいのが多いなあという印象である。グレッグ・イーガンやテッド・チャンの作風が好きだが、他にはあまりいない気がする。

海外SF作家でいちばん自分の趣味に近いのがグレッグ・ベアのような気がするが、家にある『ブラッド・ミュージック』は読んだけどちょっと抽象的すぎて好みじゃなかった。なので他の作品に手が出ないままだ。

まあそんな調子なので、私が趣味の知りあいを作るのは難しいということは理解している。理解はしているが、30年もネットにいるのに趣味の知りあいが1人もいないって、現代風に言って「草!」と思ったしだいである。

タイトル画像:"Others are connected on the Internet, but I am alone" by Stable Diffusion Online

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