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鉱物アート作家になるまで

初めまして、鉱物アート作家の『時計荘』島津さゆりです。
鉱物標本を使ったジオラマを盛り込んだオブジェを専門に制作しています。

『時計荘』は屋号、島津さゆりは作家名です。

今でこそ店舗常設やギャラリーや書店での個展を中心に活動していますが、活動初期はデザインフェスタなどのイベント出展をメインに活動していたため、屋号が必要だったので当時運営していた鉱物ブログ「時計草の庭通信」を縮めて語尾を変換して「時計荘」と名乗ることにしました。そのまま定着して今にいたります。

そう、私は専門的な美術教育は受けて作家になったわけではありません。
某大学の日本語日本文学科を卒業したのちに某神社に就職し本職巫女となり、巫女長を経て26歳で巫女を定年退職後は華道の内弟子をしていました。

そんな私ですが、幼い頃から石が好きで、お小遣いを貯めては博物館の売店で小さな標本を買って集めており、漠然と「石に対する静かな愛」を育んできました。

きっかけは小学二年生の頃。

父と母に連れられて博物館に行った折、売店で300円程度の小さな紫の蛍石を眺めていると、通りすがりの店員さんが私にこう言いました。

「それはね、蛍石。蛍石という名前は、熱すると蛍のように光を放つところからつけられたんだよ。その石は、光るよ」

にわかには信じがたい話でした。目の前の蛍石は濃い紫色をしていて、とても光を放つようには見えません。
けれど、これに火を当てたら、蛍のようにぱあっと光る光景が私の中にはっきり広がって、私はその美しい光景を実際に見てみたい、と強く思いました。

小学二年生の私はお金を持ってきていなかったので、父にその蛍石をかってとねだりました。
私は物をねだることの少ない子どもだったので、突然のおねだりに父は少しびっくりした様でしたが、博物館のおみやげにと蛍石を買ってくれたのでした。

たった300円の小さな蛍石が、その30年後に私の生活の基盤となる仕事につながるとは夢にも思いませんでした。それからというもの、私は父母に博物館へ行きたいと頼んではお小遣いを握りしめて売店へ向かい、小さな石の標本を集めるに至ったのでした。

成長するにつれ私の興味は文学や美術や伝統芸能などに広がり、地学を専門にするには至りませんでしたが、私の中でいつも大事な拠り所となりました。

大学を卒業し就職をしてしばらくは仕事の下積みと修練に忙しく、また結婚を機にそれまでの仕事を退職して夫の仕事先について回る転勤族生活が始まり、博物館や鉱物店、ミネラルショーからは足が遠のいていましたが、出産後にまた鉱物との蜜月が始まりました。

誰も知り合いのいない僻地での新生児育児です。

夫の仕事は若いうちの転勤が非常に多く、出向先は僻地が中心でした。私はそれも承知の上で仕事を退職して夫について地方をあちこち2年ごとに転居して回る生活を楽しんでいましたが、出産となるとまた話は別でした。

実家からは5時間かかる距離。当然知人も友人もいない。それどこか、過疎化が進んでいて周りに赤ちゃんの姿が見えない。最寄りの産科小児科へは車で1時間かかる。過疎化が進んだ廃工場や廃団地だらけで、ただ不便でうらさびしいだけで景色がいいわけでもない。夫は激務でほとんど家にはいない。たまに実家や友人に電話しても、普段人と話すことがなさすぎて、言葉がうまく出てこなくてどもってしまい、黙り込む自分がいました。

そんな中1人、言葉の通じない乳児の我が子と家にいると、まるで繭の中に閉じ込められているような静かな閉塞感があり、愛する家族と幸せな生活のはずなのに窒息しそうな中、私の救いといえば、枕元においた数冊の鉱物図鑑と本でした。

寝不足で頭が回らなかったので大好きな小説も読む気力がなく、また授乳や夜泣きも頻繁でまとまった時間なども取れないし文章をまとめて読む時間はない。そんな中で美しい石の写真を眺めてぼーっとする時間が、どれほどの慰めになったでしょう。

美しいものは、時に人を救うのだと思いました。

きっとあの時、あの孤独と疲労の中で何もすがるものがなかったら、私は壊れていたかもしれないとすら、思います。

とはいえ、また自分が「石が好きだ」と再発見したとしても、実際に鉱物店やミネラルショーにはまだ到底行けない。時が経ち、年子で産んだ息子たちが幼児になったところでそれはまだ変わりませんでした。それでも写真を眺めるだけしかできない生活から、徐々に自分の学生時代までの鉱物コレクションを取り出してたまに眺める生活にだんだんとシフトしていき、日々の生活に追われる中で「心身共に擦り切れる前に美しいものを眺めたい」という習慣が定着しました。

孤独なワンオペ乳児育児期が過ぎ去り、僻地から都市部へ転居して生活が変わったところで、今度は元気いっぱい、子犬のような小さな男の子2人を抱える生活に。美しいもの、好きなものを眺めて暮らしたい。とは思えども…。

年子男児2人のいる生活。

それは嵐のようなものです。好きな物を飾る生活など到底夢のまた夢でした。棚の上なら安全などと思ったら甘い甘い、椅子の上に不安定に衣装ケースを積み上げてまで取ろうとします。

割れて怪我をしたり、好奇心から素手で触ったり口に含んだりしたら危険な鉱物を飾るなんてとんでもない。

けれど疲れた時くらい、図鑑や本だけでなく自分のコレクションを眺めたい。

そんな思いから、鉱物ブログを始めました。自分のコレクションをお昼寝の合間の短い時間に撮影してはブログに記録し、それを眺める。社会と切り離されてうまく言葉がでなくなっていたリハビリのつもりでもあったので、とにかく「何があっても毎日更新する」という目標を立て、乳幼児を抱えながらも毎日欠かさず更新しました。

毎日更新していた成果もあって、そのブログで鉱物が好きな方々と交流が始まり、やがて私が「子供に石を直接触られないように飾る」目的で作っていた鉱物スノードームや鉱物ジオラマ瓶などを実際にイベント展示する機会に恵まれ、それをご覧になったお店の方からオファーをいただくようになり、今に至ります。

今現在はそのブログは休止していますが、「石を美しく安全に気軽に飾りたい」というスタンスは今も続いています。

長々と経緯を書いてきましたが、現在の私は国内6カ所での常設展示販売と、季節折々の展示を中心に活動しており、告知等は主にHPの他twitterやLINE、instagramで行っていて、新しく開設するこのnoteでは告知や宣伝ではなく、短文では紹介しきれていない作品解説やイベントストーリーなどを詳しく書き記していくつもりでいます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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9月は相模原と中野で2つの展示を開催します!
入場無料ですのでぜひお立ち寄りください。

頂いたサポートはすべて、確実に作品制作に充てさせていただきます。 (作品展示のご高覧、ご声援だけでも十分ですのでご無理なく!)