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メディア×国際の「混ざる」教育

Ink Swirls, on Flickr © Jennifer Vazquez, 2013. (Licensed under CC BY-ND 2.0)

TOKECOMでは「メディア」「企業」「グローバル」の3コースのどれに所属しても、他コースの専門科目を履修できます(ただし3コース制は今年度まで)。だから卒業時に「TOKECOMでコミュニケーションについて幅広く学べた!」という感想は良く聞きます。同じように所属コースに関係なくどの教員のゼミも履修できるようになっていますが、これは「混ざる」ことでの相乗効果をまずは教員側が期待しているからです。

2月の記事では、人・モノ・情報の世界規模での移動にはメディア技術の発達が関係している。つまり両者は相補的な関係だと書きました。それは2022年度にできる「メディア社会学科」と「国際コミュニケーション学科」という2学科がコミュニケーション学部の中に存在する意味であり、そこがユニークさでもあったわけです。

事実、メディア研究者に分類される私ですが、かなりの割合で3コースの学生がゼミには集まります。つまり「混ざる」ことでの相乗効果への期待は学生側にもあるのですね。だから2学科体制になっても学部内のどの教員のゼミでも選べる仕組みは続きます。

2年ゼミでは毎回10分ほどで1人の学生が最近読んだ論考や記事の概要を紹介し、なぜ自分がそれを面白いと思ったかを発表する場があります。最近グローバルコースの学生が紹介した記事は「EUが素案的に提案したAI規制の考え方は、アメリカはもちろん日本やアジア諸国にもそれなりの影響を及ぼすだろう」といった内容のものでした。

この学生は入ゼミ面接で「人工知能の社会への影響に関心がある。特に雇用への影響に」と語っていた学生でしたが、彼がこの論考を読もうと思ったのは「アメリカと中国がAIの開発ではリードしているのに、それでも欧州の規制がアメリカにも影響を及ぼすの? 意外だ」という気持ちからだったとのことでした。

もうひとりのグローバルコースの学生は「台湾に興味があり、少し調べていった」「するとそこには透明性と市民への情報提供というかなり徹底した方針があることを感じた」「IT担当大臣のオードリー・タンを知ったのはそこからで、その後に彼女(この学生が読んだ本ではそう表現)がトランスジェンダーであることも知った」とのこと。それで「情報技術というのは使いようだが、やはり使う人や使い方をリードする人の思想が大事なのでは」という考えに至り、私のゼミを選んだと言うのですね。この2人の学生は講義科目は「グローバル」中心に今は履修しています。

じゃあ、「メディア」と「企業」コースの学生が海外に無関心かというとそんなことはない。というのもスマートフォンの話になればiOSのアップル、SNSならばInstagramというグローバルブランドが存在感を示しているからです。それでもこの2コースの学生は、利用者の行動や心理というミクロへの関心、わかりやすく言うと自分や友だちのメディア利用というところから興味あるテーマを探し、発想している感じがします。

対して先の2人は家族や友人と海外を訪ねた経験が複数回あります(1人はロシアに2週間ホームステイの経験あり)。そこでの体験がかなり強烈に刻印されたせいか、世界の中の日本、その日本社会に暮らしている私という感覚が時に働いているように感じます。

私は学生に「研究テーマを考える時は個人性と社会性の往復を」としばしば話します。自分の体験に根差したテーマの方が、すでに本が何冊も出ているような流行りのテーマよりも面白いはず。でもその個人的テーマはどう社会とつながってくるのかを考えた方が良いということです。これは学術的な研究テーマに限らず、商品企画などの場合にも求められるスキルということもあり。

夏休み前のこの時期、今の時点で深めていこうと考えている研究テーマに関わる本を選択している2年ゼミ生ですが、今年は上に書いたような場面があったので、この説明がしやすかったし、学生にもしっかり刻まれて、伝わったのではと感じています。以上はゼミでのメディアと国際の「混ざる」教育の「さわり」。

グループワークを多用するゼミや、英語字幕を考えながら学生が手を動かして映像編集を行う「メディアデザインワークショップ」のような科目が対面に戻っていけば(2022年度入学生がそれらを受講するのは2023年度から)、ものの見方が少し異なる学生同士が直に話をする場面がさらに増え、「混ざる」ことでの相乗効果が出てきて、学生もそれをどんどん感じてくれるだろうと私は考えています。

(佐々木裕一)

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