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冷たい雨に打たれて

妹がNoteにいろいろ書くことにハマっている。ご覧のとおり、創作のようなエッセイまで書き出した。

正直に告白すると、大学くらいから実家にはほとんど寄り付かずにきたし、姉とも連絡を全く取らなかったので、どこまでが本当でどこからが創作なのか、実のところ僕にもよく分からない。

でも子供の頃には年がら年中喧嘩をしていたのはホント。体格差があって、力ではまったくかなわなかった。いつもボッコボコにされていた。

でも、小学校5年生のときに、当時入っていた少年野球に元プロのコーチが来て徹底的に鍛え抜かれたおかげで、ようやく僕は力で勝てるようになった。ところがそうしたら親父にこっぴどく叱られた。曰く「男が女に手を上げてはならない」とのことだった。

その見解が不服で、僕は「それなら年上が年下に手を上げるのは正しいのか」と主張した。すると親父は「年上が年下に手を上げるのは教育のためもある」と言った。当時の僕にはそのロジックが理解できなかったし、反論することもできなかった。小学生にそんな複雑な反論を構成できるわけがない。

今にして思えば、親父の気持ちも少し分かる。恨みつらみみたいなものよりも、感謝の気持ちの方がはるかに強い。丈夫な身体と十分な教育を与えてくれたおかげで、今も何とか口に糊することができている。

でも、当時の僕は未熟で幼稚だったから、どうしても家族と折り合うことができなかった。勉強も運動もできる子どもだった(と思う)のに、褒められることもなく「習ったことが出るのになぜ100点じゃないのか」とテストのたびに言われた。姉も妹も僕より成績は悪かったと思うけど、そんなこと言われたことはないと思う。それが我が家の教育方針だった。

自分が好きなことをすること自体に、いい顔をされなかった。いつも上から押さえつけられている気が、いつも責められている気がしていた。

そういう「抑圧された」意識を身にまといながら思春期を迎えた子どもが、往々にして辿りそうな道を僕も辿った。でも、幸いにして、今はどうにかこうにか人様のお役に立てるような仕事をしている。

前置きが長くなった。

妹が書けと言うので、母が貸した金の回収に苦労したことを書く。もちろん脚色はしているのでご容赦いただきたい。

母は、お人好しだった。世間知らずでもあった。たぶん、父もそうだった。本人たちは自分たちを良識人だと思っているだろうけれど、皆さんご存じのとおり、そういう人ほどコロッとだまされる。

母に金を借りた男は、自己啓発セミナーでカモを探していたのだろう。ターゲットが姉だった。思い込みが強く、自分の欲望に忠実で、数字に弱い。おまけに親もそこそこの経済力がある上に、子どもに甘いお人好しだ。

自分がやっていた店が行き詰まったからか、男は、姉にその店を居抜きで引き継がないかと声をかけた。店をやりたかった姉は親を巻き込んでそれに飛びつき、店を始めた。

「やるかやらないか迷ったらやれ」

というのがその自己啓発セミナーの教えの一つだった。うん、素晴らしい受講生だ。

僕には、契約関係だとか資金計画だとかいった相談は全くなかった。ある日案内状が届いて開店を知って驚いたけれど、うまくいくといいね、くらいにしか思っていなかった。家出は繰り返すわ資格試験にも通らないわ、そんなろくでもない身内に相談したって意味がないと思ったのだろう。まぁ無理はない。

店は、繁盛していたと思う。あまり実家に寄りつかないようにしていた僕だけれど、どうしても人手が足りないときに頼まれて、何度か手伝いに行った。行くたびに賑わっていた。

姉が結婚を機に店を畳んで、その後何年か経って離婚して実家に戻ってきて、さらにしばらく経った頃だから、ずいぶん後になってからだ。ようやく彼らが「男に、お金を貸したんだけど返してもらえない」と相談してきた。

詳しい話を聞くと、よくある投資の話と子どもの学費に困っているという泣き言の組み合わせだった。フィリピン沖のエビ養殖や和牛の牧場の話はニュースにもなるくらいだけど、似たようなスキームの詐欺まがいの話は掃いて捨てるほどある。中国の奥地の砂漠の緑化計画として乾燥に強い野菜を有機で育ててどうのこうの、みたいな話だったと思う。

そんなもの国家単位のプロジェクトで、その辺のオッサンが私費を使って仕切るような話ではないのだけど「世の中を良くしたいという一心でそれにかなりの大金をつぎ込んでいるが、なかなか大変な道のりで、子どもの大学の入学金にも事欠く」という男の話にほだされて、母は「店を出す時にお世話になった人だから」と言ってかなりの大金を貸した。

そんな大金を貸すほどお世話になるというのがどうしても想像できなかったから、そこで初めて店を出すときの顛末を聞いた。あれだけ流行っていて全く儲からなかったと言うから、僕はひどく驚いて、さらに詳しく聞いた。

そうしたら、実に相場の2倍くらいの家賃、坪3万以上の賃料を払っていた。そんなの当時の渋谷や新宿の繁華街くらいの家賃だ。ろくな利益が出るわけがない。その男が間に入って中抜きしていたのだ。お世話になったどころの話ではない。

しかも、貸した当初は借用証さえ書かせていなかった。2年ほど経っても返してこないから、おずおずと「疑うわけじゃないけど、借用書くらいは書いてほしい」と言って書かせたらしい。そしてその時に「毎月5万円ずつ分割で返す」という文言を書いたきり、なしのつぶてになった。

一応電話は出るんだけど、なんやかんやですぐ切られちゃうのだと言う姉は、それでも会社の上司と一緒に男の自宅を訪ねて直談判したらしい。さすがにその場ではしらを切りとおせなかったのか、男はとびとびに2回、合計10万円だけ返済し、やがてまた電話も取らなくなった。

そうして困り果ててようやく僕に相談してきた。言いたいことは山ほどあったけれど「”ソッチ系”の人を紹介してくれるという知り合いがいるから、その人に頼んでみようかと思っている」という姉を全力で止めた。絶対にやめろ、とりあえずできることはやってみるからとだけ僕は言った。

僕は大学に入る前に一度家を飛び出して、麻雀屋(雀荘)で働いたことがある。まぁ何も知らない小僧だったんだけど、そこには実にいろんな人がいた。彼らの中の一部は、なぜか僕を可愛がってくれて、僕を飲み屋に連れて行ってはいろんなことを教えてくれた。

雀荘が12時で分厚いカーテンを閉めて光が漏れないようにする理由も、植木屋が店に持ってくる観葉植物の代金がみかじめ料であることも、そこで知った。反社の手口もたくさん聞いた。だから姉の話を聞いて、ああ、こういう人たちが反社に後々骨までしゃぶられるんだなと改めて思った。

そして僕は、男に電話を掛けた。電話はすぐに繋がった。こういうやつは、知らない番号からなら電話には出るのだ。名を名乗り一度会いたいと言うと、男は承諾し、ある駅の近くの喫茶店で僕と男は面会した。

本人じゃないとどうのこうのと言いだすと面倒だから、事前に母に書かせておいた委任状を提示して、どういうつもりかと詰問すると、男は「返すつもりはある」と言う。僕が訊いているのは返済の意思ではなく手段だ。いつ、どうやって返すのか、それを言え。

男が返済計画として持ち出したのは、いわゆる創業融資だった。新規事業のプランがあって、それで創業融資を受けるのだと言う。どんな事業計画なのか、概要だけでも教えろと言うと、男は名刺とパンフレットを出してきて事業の説明を始めた。「特別な水」の話だった。

だいたい嘘か絵空事だろうと直感的に思った。もちろん誰でも思うだろう。

ブローカーの一味として、適当な事業計画をこしらえて○融公庫だとか保〇協会だとか、新〇行東京だとかから融資を引っ張る。全く手を付けないと詐欺でお縄になるから、一応は取り組むけど、うまくいかなければ(だいたいいかない)後は適当に事業をこかして終わり、そんな話だ。

それ自体はよくある話で、案外うまくいってしまったりすることもある。事業計画がそれっぽくてコネがあると通ってしまう。石原慎太郎の肝煎りで作られた新銀〇東京は、そういったブローカーやエセ同〇に食われて千億円の大赤字を食ったくらいだ。そういえば、そんなブローカーも麻雀屋ではしばしば見かけた。

それがうまくいくとあんたにはいくら入るのかと訊くと、1000万円くらいは入るからそれで返済すると言う。いつ結論が出るのかと訊くと、来月だと言う。まぁいい。持っていない人間から金は取れない。一度泳がせようと思って男から名刺を取り上げて、結論が出る来月末に連絡するから必ず電話に出るようにと伝えて、その日は終わった。

名刺の住所には次の日行った。誰もいなかった。名刺の代表電話にもかけてみた。誰も出なかった。だよな、と思った。直感は、確信に変わった。

結論が出たくらいの頃に電話をすると、追加の資料がどうのこうので来月までかかると言う。予想通りだからまた電話をすると言って翌月に電話をすると、今度は何日間かけても何度かけても出ない。これも予想通りだから、僕は男の自宅に向かった。仕事が終わってからだから7時くらいだったと思う。

男の家は集合住宅だった。チャイムを鳴らすと、僕とそう変わらない年齢の娘が出てきた。男は不在だという。いつならいるのかと訊くと、娘は22時くらいには戻ると思うと答えた。

「遅い時間に申し訳ないですが、そのくらいにまた来ます。連絡つくなら連絡してください。あなたは知らないだろうけど、来ないわけにはいかないんで」

そう伝えて、近所のファミレスに入った。10分もしないうちに、男から電話があった。今日は無理だから控えてくれと言う。娘の手前があるのだろう。

「誠実に対応してもらえるまで何回でもお邪魔するしかないですよ。返済どころか電話も出ないわ折り返しも来ないわが1回2回じゃないんだから。明日は間違いないんですね?何度でも来ますよ」

のらりくらりさせているわけにはいかない。どこかで腹はくくらないといけない。男は明日の夜なら必ず家にいると言う。

そして翌日、再び男の自宅に行った。男の妻が出てきて、男に取り次いだ。家に上がってではなく、玄関先で話をした。変に上がり込むわけにはいかないなと思ったのだ。

「融資の話、ぽしゃったんでしょ?」

僕が言うと、男は渋々それを認めた。

「で?どうするんですか?」

と僕が詰問すると、男は「今の仕事だ」と言って以前とは別の名刺を出してきた。△△肥料営業課長と書かれた一見すると普通の会社の名刺だった。ただ、場所が湯河原だった。そんなところまで通勤しているとは思えない。怪しみながらしばらくの間しげしげと名刺を眺めていると、沈黙に耐えかねたのか、男は家の奥に声をかけた。聞き耳を立てているのか、すぐに男の妻がカバンを持ってきて、男はそこから資料を出してきた。

「他にもこういう投資の話があって、これを今まとめようと全力を出している。うまくいけば年内に2000万円は入るから、利息付けて返せる」

資料を見ると、手垢にまみれたM資金の亜流だった。

何言ってんだこいつ。

半分呆れたのだけれど、男は「今回は大丈夫だ、いける自信がある」と強調する。確かにこんなのでも引っかかるやつはいる。いるけどお前、これで得た収益で返すって言ったって、という話だ。

僕は逆手に取ることにした。

「仕事もしてて投資の話もまとまりそうで、間違いなく返せるって言うなら、奥さん保証人に立ててくださいよ。これだけ延び延びにされててこっちもハイそうですかって帰れないですよ。それに息子さんの入学金なんでしょ、そもそも夫婦の問題じゃないですか」

男は少し渋ったが、「間違いないんでしょ、なら問題ないじゃないですか」と畳みかけると、奥にいた妻がまた出てきて、保証人になりますと言った。

債権者と債務者の名前、金額、期日その他の必要事項を書かせ、男と連帯して保証しますという文言を書かせた。ハンコがないと言うから「それなら”押印に代えて自署する”って書いてください」と言ってそのとおりに書かせた。

ふと思い当たって、僕は、男の妻に尋ねた。

「息子さん、今大学何年生ですか?」

男の妻は、息子はもう卒業したと言った。金を貸した日からの計算では、今4年生のはずだった。まぁそういうことだ。

年が明け、男からの連絡の代わりに、弁護士から手紙が来た。自己破産だか債務整理だかの代理人になったという受任通知だった。事務所に電話をかけて「分かりました、では連帯保証人に請求します」と言うと、少し慌てた声で連帯保証人って誰だと言う。「奥さんですよ」と言うと、弁護士は電話口の向こうで「奥さん保証人になってるの?」とかなんとか言っている。ちょうど依頼人の男が来ているらしい。丸聞こえなんだが?

しばらくごちゃごちゃと電話の向こうでやり取りしていたかと思うと、「そっちも代理人になっている」と弁護士は言った。おかしくなってわざとすっとぼけた。

「え?そちらは何の通知もいただいてませんが?」

と言ったら、もう受任はしている、通知は追って送ると言う。でも、2週間ほどして送られてきた受任通知に書かれた受任日は、電話を掛けた日よりも後の日付だった。そしてその中に「連帯保証契約は強迫により無効である」という主張が記載されていた。

その時点で、僕は自力での回収をあきらめた。母を説得し、知り合いの弁護士を頼んだ。裁判になった。争点の一つは金銭消費貸借契約なのか開店を世話した謝金なのかで、もう一つは、僕の書かせた連帯保証契約書が強迫によったものかどうかだった。

生まれて初めて証言台に立って、僕は宣誓を行った。相手方の弁護士に尋問されたのは、貸金業に従事していないか(多分、夜間の取り立てがどうのこうのなんだと思う)ということと、大声や暴言で相手を畏怖させたかということだったと思う。他にも尋問されたと思うんだけど、やっぱり緊張していたのか、あまり覚えていない。

尋問2つはなぜ覚えているかと言うと、明らかにNOと即答できることだったからだ。貸金業なんかしたことないし、男やその妻と話すときは、意識して強迫的な言動を避けていた。

「何をもって大声と言うのか分かりませんが、私としては、殊更に大きな声を出したつもりは全くありません」

とわざと大きめの声で言った。裁判長殿、ちょっと声が大きかったとしてもそれはワタクシの地声なのです。

裁判は、和解になった。和解案は、相手方が裁判の日の翌々日までに全額支払うというものだった。せっかくだから勝訴判決というものを得てみたかったんだけど、ほとんど勝ちみたいなものですよと弁護士が言ったから、母と相談して応諾することにした。払うとは思えないけど払わなかったらどうなるのかと自分の弁護士に訊くと、和解調書を債務名義として強制執行をかけるしかないと言う。

もちろん支払われなかった。

そして強制執行の段階になって、僕は男や男の妻の財産や勤務先を調べるのに苦労することになった。ろくな財産はないに決まってるんだから、勤務先を調べて給与を差し押さえるしかない。だけどあいつ働いてんのか?

男の生活サイクルも分からないから、終電で男の家の近くまで行って、ファミレスで始発まで待った。始発が走り出す頃から、男の家の近くで張り込んだ。7時くらいに男が出てきたと思ったら、ゴミ捨て場にごみを捨てただけだった。うんざりしながら待っていると、8時少し前に男が出てきた。

こっちの顔は割れているから、距離を置いて後を付けた。男は最寄りの私鉄の駅には行かず、延々1時間半ほど歩き、山手線の駅まで行った。運賃が惜しかったのか、健康のためかは分からない。ひとつ隣の車両に乗り、男の横顔を見張る。竹内まりやか。

ともかく、うまくいけば職場がわかるし、職場がわかれば給与を差し押さえることができる。男が働いていればの話だが。

働いていなかった。そりゃそうだ。

10時少し前に男は山手線を降り、駅の近くのルノアールに入っていった。職場ではないだろうし、店の中まで入るわけにもいかないから、その日はそこで断念した。それに、繁華街のルノアールで交わされる会話なんかだいたいろくなことじゃないだろうと思った。

日を改めて、また男の家まで終電で行ってファミレスで朝を待ち、明け方に男の家の近くまで行く。今度は妻の方を付けてみようと思っていた。そっちは給料の額はともかくとして、一応は働いているはずだ。

その日の朝は、男は出てこなかった。8時頃、男の妻が出てきて、私鉄の駅に入っていった。こちらはこっちの顔なんて覚えてはいないだろうと思ったが、一応は少し距離を置いた。

私鉄からJRに乗り換えて、男の妻はある施設に入っていった。介護系の施設だった。看板の名前を控えて、弁護士に連絡した。ビンゴ。

1年近く、給与のうちいくらかを差し押さえることができた。ところが雇用主から男の妻が退職した旨の連絡が弁護士宛てに来たと言う。やれやれ。やり直しだ。

だいたい同じような職種に就くだろうから、今度は朝からでも間に合うだろうと思って始発で行った。雨の朝だったけれど、逆に傘で顔が分かりにくくて良かったかもしれない。ただ、小さなビニール傘しか持っていなくて、3月の末の冷たい雨の中、数時間待つのはなかなかつらかった。傘を持つ手がかじかんで、歯がカタカタと鳴った。

前回よりは少し早い時間に男の妻は出てきて、前回よりも離れた駅で降り、前回と同じような施設に入っていった。前回と同じように名前を控えて、弁護士に連絡する。ダブルビンゴ。

観念したのか、今度は職場を変えられることもなく、和解金額を満足させるまで差し押さえることができた。かなり長い期間かかった。訴訟や差押えの費用を考えると、貸した金額にはとても及ばなかったけれど、上出来だろう。何かの折に、姉から「貸した分に全然足りないってお母さん言ってたよ」と後から聞いたけれど、聞こえないふりをして別の話題をした。余計なことは耳に入れないでいいんだよ。

世の常として、一度手を離れた金は、簡単には戻ってこない。借用書も担保も取らずに大金を貸したら、返ってくる方が珍しい。嫌な思いもたくさんする。ちゃんとした証拠があって、弁護士を立てて、気力を振り絞って訴訟すれば、貸したことや返済の義務までは確定できるかもしれない。貸金請求でも養育費の支払いでも同じだ。でも、支払義務まで確定しても、実際に回収できるまでにはさらに一山も二山もある。全額回収なんかできるわけがない。

今の仕事でも、金の貸し借りの相談をしてくる人はいる。内容証明を作ってくれと言ってくる人もいるけど、揉めそうな事案の内容証明の依頼は受けられない。手に余るので弁護士さんに頼んでくださいと言うことにしている。「でもお高いんでしょう?」じゃないから。頼まなかったら回収不能だから。

主は言った。それでも構わない、という人だけがお金を貸しなさいと。

#創作大賞2023
#エッセイ部門

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