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本当の「友」とは

私は私の友達の理想像として完璧だと思う子と電話をしていた。
その中で友達が話してくれた内容への気づきを少しばかり共有したいと思ったので記事にした。

①変な人とは

人間皆どこかしら変なんだと。
自分が普通だと思う人はまた違う所で変なだけで、皆「変」な所がある。
(例:真面目でもその真面目過ぎる所が変だったり)
変だと思う価値観や変のベクトルが同じだから、合うように思うのではないかと。

変人が好きだ・気が合うんだという話題に対してこういう答えがあった。自分は変なんだと思っていたけれど、変な部分が少数なだけで。自分が変だと思う所にいる人と仲良くなれるのはそういうことだと気付かされた。

友の有り難さ


マインドが同じ友達である有り難さ。日々の環境で一緒にいられる友達(遊び友達)は作れるけれど、実際深いところまで下げた話題ができる人はごく少ない。遊び友達とは日常会話するだけで踏み入った話をしない上辺での付き合いのように感じるが、本当にいう『友』というのは思ったことを吐き出せてそれに対して意見を述べ合い互いにアウトプットができる関係じゃないかと。

今の自分にはそうできる相手が自分の環境には居ないから、この関係大切だねという話を久しぶりに出来たのは私にとって非常に有り難いものだなと思った。何事もなく過ごせていたとしても、頭のどっかでそういう相手を恋しく思っていたんだなと痛感した。


余談

優しさとは時に壁を作るものだなと最近思う。相手の気を悪くしてはいけないという、自分側の意向で優しくするのは却って友達(遊び友達)を作るだけなのだ。
電話をした友は、悩みを言えば具体的に意見を述べてくれる。それは肯定もあれば私の場合こう思うの時もある。それがとても心地良い。友達は共感なのであれば、同情する訳までも述べてくれるし、違うんじゃないかというのであれば私の意見を肯定した上で1意見として自身の意見を話してくれる。
友達なんだから当たり前のことじゃないかと頭では思うかもしれないが、身近な人にそれができているかと言われればそうでもないのが私である。優しさで壁を作るのではなく壁を優しさで壊してくれる相手の有り難さに気づけることはプラスでしかないなと思う。

本当の「友」を大切にしたいね

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