僕はほんとやな人間 簡単に人の嘘は信じる癖に、人の本当は信じない
勝手に期待されて、勝手に失望されて。僕は何一つ変わってないのに、応えられなかった当てつけみたいに離れられて。 どれだけ人への愛があっても信用しても結局そうだったんだって事実にこっちは一生縛り付けられるんだよ。
僕って人間で良かったのかな。 嫌でも便利な身体だからさ、使えるうち使いたいから辞めたいってことないんだけどさ。 人間の動物らしさとか汚さとか見てると、このまま風になった方がそんな事も知らずに済めたのかなって思ってしまう。 ご飯が美味しい事だけが繋ぎ。 今に始まった事じゃない想い。
私は私の友達の理想像として完璧だと思う子と電話をしていた。 その中で友達が話してくれた内容への気づきを少しばかり共有したいと思ったので記事にした。 ①変な人とは 人間皆どこかしら変なんだと。 自分が普通だと思う人はまた違う所で変なだけで、皆「変」な所がある。 (例:真面目でもその真面目過ぎる所が変だったり) 変だと思う価値観や変のベクトルが同じだから、合うように思うのではないかと。 変人が好きだ・気が合うんだという話題に対してこういう答えがあった。自分は変なんだと思って
人を怒らない理由、勿論優しさとか穏便な性格なのもあるけれど、普通に怒ってる時間もったいないなと感じてしまうのは私だけなのだろうか 時に怒る優しさもいるかなとは思うし、怒りの感情は時に原動力になったりもする。 ただし人を傷つける恐れのある怒りなら捨ててしまえ。そう思う。
自分の感情や行動を自己管理出来る・礼儀と思慮、配慮を忘れない大人にはついていこうって思えます 当たり前といえば当たり前だけど出来ない大人は山程いるので 審美眼を備えた大人に僕はなりたい
日本で汎用されまくっているだろう「また」を実行してくれる人、私はとても大好きです また遊ぼうね、また行こうね、って思ってても動けない人沢山居るし私もよくそうなってしまうから。
私がよく思うことがある。心には小さな子供の私がいるんじゃないかと。 心に小さい子供がいてそこがきっと私の核。自分は過去のことからその核を守るのに徹してきたから守るための層は分厚い。けど核は尽く脆い。自分の感情が内側から湧き上がった時、簡単に壊れてしまうものなのである これまで敢えて隠してきたものも記憶も逆流して思考が煮え立つ。そうすると話をしようにも涙が溢れてくる。話したいことも全部分かっていて言えるはずなのに口に出した瞬間から内側からこぼれ落ちる。 話したあとはわりと落ち着