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『百々目鬼』 〜もののけがたりをふりかえる其の二〜

こちらも私が主催した怪談語りのイベントのために書き下ろしたものです。
初演で加納昴流さんに読んでいただいたほか、
山本紗由さんがご自分のイベントでも読んでくださいました。
百々目鬼(どどめき)という妖怪は、
かの鳥山石燕の手がけた江戸時代の妖怪カタログ的書物、
『画図百鬼夜行』に記され、
現時点では同時代にもそれ以前にも他に記載されたものは見当たりません。
私が始めてその姿に出会ったのは、
幼い頃に書店で見た児童向けの妖怪図鑑の中でした。(水木しげる大先生の関わられたあれです)
夏祭りの夜、好きな本を買ってあげると言われていたのに、
妖怪図鑑はいつも立ち読みばかりで、買ってもらうのは他の本。
少し怖くて、けれどどうしても見たくて、必ず一度は開いてしまう、
そんな本でした。(当時は遊びに行った同級生の家の本棚にこれを見つけ、やはり行くたびに見てた。比較的最近になってついに復刻されたものを自分で買いました)
百々目鬼はその中に登場する妖怪たちの中でも、
なぜかひときわ気になる存在でした。

        ※       ※       ※

『百々目鬼』

昔、箱根の湯治場に向かう、ある旅人の語った話。

——娘さん、こんな夜更けにどこまでゆくんだい、
すれ違ったその娘に声をかけたのは、
果たしてほんとうに、気まぐれだったのでしょうか。
娘のすらりとした姿は、
振り返らせてみたくなる、
もっと見ていたくなる、そんな何かを持っていた。
そう思えたのです。
まだ互いの名も聞かぬうちに、
提灯を手に、帰る道すがらの世間話は、
いつしか娘の身の上へと及びました。
「一度も見つかった事なんか無かったさ。当たり前だろ」
そう誇らしげに笑いながら語る娘の話は、
いささか奇妙なものでした。
「はじめは万引き。小さい頃の話だよ。
 駄菓子屋の店先から、時々あめ玉やなんかを盗んだ。
 誰にも分けないで、一人でこっそり食べてた。
 それから櫛や、簪なんかも——。
 今差してるこれもそうだよ。
 もちろん、何度か髪に差してはみるけど、
 さあ…別に、もともと大して欲しいわけでもなかったし、
 たいていはすぐに飽きちゃったけど」
蓮っ葉な言葉ではあっても、
そう育ちが悪いようにも思えない。
振る舞いは幼いようだが、
まるっきりの子供というわけでもない。
夜目とは言え、いくら見つめても、
この娘が一体幾つなのか、まるでわからなかった。
仮にこちらが何かたずねても、娘は答えをはぐらかして、
じぶんの話を続けました。
「万引きにもすっかり飽きちまったから、
 今度はスリをはじめた。
 すれ違いざまに、懐から、すっ。
 簡単だったよ。
 だから、小遣いにはちっとも不自由しなかった」
果たして、いつのまに話がそうまとまったものやら、
娘はとうとうわたしの家までやって来て——、
仄暗い部屋の中、行燈の明かりで映し出された娘の姿は、
どこか妖しく、そして美しかった。
「あたしの腕、長いだろ…」
おもむろに娘はそう言って、袖を捲り上げました。
腕には、なぜか真っ白いサラシが巻かれていた。
怪我でもしてるのか?
と問うてみましたが、これも答えは無く、
娘はただ、意味ありげに笑っただけでした。
そして、その体つき同様、やはりほっそりとした長い指をすっと立て、
鉤型に曲げた。
「この指があればなんだって盗ってこられる。
 誰の助けも要らない
 あたしはこんなに器用なんだ。だから、見つかりっこ無い。
 でも…思ったんだ。
 もし、このまま見つからなかったら?
 ずうっと、誰にも見つからなかったら、
 いったいどうなるんだろう、って…。
 —— ほんとは、見つけてもらいたかったのかもしれないね…。
 そんなこと考えてたからだったのかな。
 いつ頃からだったんだろう…。
 なんだか見られてるような気がしてた。
 もしかしたら。いちばんはじめからだったのかな。
 見られてたんだ。見てたんだよ、ずっと、あたしの事を——。
 ひとつ、ふたつ、みっつ…どんどん増えた。
 一体何の話かって?
 …ふふふ、わからないよね、何のことだか…。
 見たいかい?それじゃあ——、
 見せてあげようか?
 ふふふふふ…」
はらり、と腕に巻かれたサラシがほどけ、
娘の白く長い腕が露わになると、
その腕には——、
白い筋…塞がりかけの、たくさんの細かな刃物傷…、
はじめは、そう思いました。けれども——。
ぱちぱち、ぱちぱち、と、
まるで娘の腕に棲む、何か別の生き物のように、
それは——それらは、次々に瞬きをはじめたのです。
目——。あろうことか、そこには、おびただしい数の目が、
大きさも色も様々な目が、びっしりと——。
「こいつらが、盗め、盗めとあたしに言うんだ。
 あたしにしか聞こえないその声は、
 真夏の蝉の声みたいに、頭の中でわんわんと響いて、
 言う通りにするまで、ずうっと鳴り止まない。
 そしてあたしが盗んだぶんだけ、
 ここにこうして目玉が出来る…。
 こわくなって、いくつも、いくつも潰した。
 でも、潰しても、潰しても、どんどん増えるんだよ 」
娘は自分の髪から簪を抜くと、
腕にある眼をひとつ、簪の足で、ぶつり。
目玉の群れが、ひくひくと震え、赤い血がひとすじ——。
「盗まなきゃ。
 自分じゃ、もう止められないんだよ。そう、
 あたしはもう、ばけものになったんだ——。
 でも、万引きも、スリも、もう飽き飽き…。
 だからね、思いついたんだ。
 それとも、教えてくれたのかしら。
 どうせ目玉になるんなら、そう、はじめっから…。
 ——あんたあたしが見たかったんだろう?
 あたしをじっと見てただろう?
 だったら、さあ、
 あんたの目玉を、あたしにおくれ…」
ぎらり、娘の手にした銀の簪が光りました。
あるはずのないところにあるたくさんの目が、
ぎょろり、と一斉にこっちを見て、
目が合いました。
そして——、

悲鳴を上げたのは覚えています。
けれども、そこから先は、良く覚えておりません。
気がついた時は、お医者様の手当をうけておりました。
倒れた行燈の火が、わたしの着物に燃え移って、それで——。
ひどい火事になってしまって、ご近所にはすっかり迷惑を…。
ええ、はい。この身の火傷はその時に…。
え?ああ、いいえ、この目は…、これは火傷ではなくて——。
お医者様は、きっと炎の熱さに苦しみもがいて、自ら傷つけたのだろう、と…。
おかしいんですよ。騒ぎの時にも、娘の姿を見た者は誰も——。
そんな娘は居なかった、と、誰もが口を揃えて言うのです。

娘の顔ですか?ええ、それはもう。よく覚えておりますよ。
今でも、まるで目の前にいるみたいに。
他には何にも見えやしませんから…。

——盲目の旅人は、そう言って、少し、笑った。

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