#78 大英帝国の歴史 下 by ニーアル・ファーガソン

ニーアルファーガソンの歴史への洞察と、一国の強大な版図を考えた際にここまで大きくなり、そして散っていた帝国の歴史から組織を作る力、維持する力、そしてどのようにすれば繁栄を長く保つことができるかという鍵があると思い手に取った本。以下歴史的事象とその背景に関わる様々を書き記す。

・ヴィクトリア期の最後の数年間は、帝国の傲慢さが現れた時代。イギリス帝国は、機関銃の力を用いて、アフリカを蹂躙したわけであるが、1880年台から20年間にかけてアフリカの40カ国のうち36カ国がヨーロッパ支配下へとなった。その1/3がイギリスによるもの。

・マクシムが発明した機関銃に、ロスチャイルド家は素早く可能性を発見し、融資を速やかに可決した。

・ローズがナイル川に沿って北上し、エジプトに到着する鉄道建設を描いたのは、イギリスが世界一の一級人種であり、イギリス人が住む世界が広がれば広がるほど人類にとって良いことだという信念から。

・アフリカ分割はヨーロッパと近東における、大国間の勢力均衡の維持を前提としたもの。エジプト財政破綻の際にスエズ運河株式会社への融資をロスチャイルド家が行うなど、金融面における支配の思惑も多くみられた。

・新たな領地は、イギリスの経済的戦略的位置が高まる場合にのみ獲得する価値が生まれてくるもの。しかしながら、イギリスはこのルールを第一次世界大戦において結果として破ることになってしまった。

・イギリス帝国が栄華を極めた1897年、領土は1270万平方メートル、対外投資は38億ポンド、いずれもフランスより3倍、2倍の水準であった。

・海外投資からの果実は少数のエリートの懐へ入り、その頂点に立つのはロスチャイルド家。ロンドンとパリ家を合わせると、4100万ポンドにも登ったのである。

・この頃関税同盟の復活を叫ぶ保守党と自由党の中でも大きな格差が存在していたのである。

・帝国主義が大衆の人気を得るのにそれほど費用は必要なかったのは、それ自体で非常にエキサイティングなことであったから。

・1898年のスーダンで起こったことは帝国主義の行き着く先であったかのように思われる。

・世界大戦の起こった背景として、ドイツ人がロシアが自分達を追い越しつつあるため力の差が開ききらないうちにうつ、フランス人はドイツが攻め込んできたから、イギリスはドイツがフランスに勝つことを恐れたことと、国内政治の基盤を戦争によって取り返したかったがため。

・WWIで勝利したことにより獲得した土地、臣民は帝国にとって追加の費用になってしまったのである。10億ポンドの費用をようし、イギリス本国内兵が最も戦死した戦いになってしまった。

・ドイツ海軍の無力化、中東への支配領域の拡大を成し遂げ将来への投資を進めてもいた。

・金本位制のもとで戦後イギリスの最大の問題となったのは、収支は均衡させるべきであり、紙幣は金と交換できるという原則が民主主義の圧力に晒されるようになったこと。結果、借金を抱えても歳出削減をするかの判断も、金放出は金利上昇を伴うといったことを予測するのが困難になってしまった。

・国家債務は戦前の10倍、国債の金利支払いだけでも総支出の半分を占める財務的に非常に危うい国家と転落する道を歩むことになった。

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