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人生を諦めることを諦めた話

30歳になる年、激務がゆえに心身ともに疲弊し、うつ病を患って当時勤めていた会社を辞めた。1年半の療養生活を経て、そろそろ社会復帰せねばという焦りと、ブランクを抱えてがっつり就活することへの不安に負け、とりあえずという形でカフェのアルバイトを始めた。

あれから早3年。気付いたら33歳になっていた。

“30代女、未婚、アルバイト、実家暮らし”

改めて字面で見ると、けっこうエグい。
ただもっとエグいのが、本人がまったく焦っていない“フリ”をしながら仕方なく生きているということ。


うつ病を経て、夢をもつとか目標に向かってがんばるとか、そういうのは意味がないと知った。だって思い返してみなよ。これまでの人生、果たして自分が思い描いたとおりになってきただろうか?

いずれ絶望するのなら、はじめから希望なんてもたないほうがいい。とりあえず、生きていればいい。とりあえず今日を生きてさえいれば……

と、なんとなく感じる世間や家族からの圧を無視しながら、のらりくらりと過ごした3年間だったが、ある日とつぜん雷が落ちた。

「あんた、いい加減にしなさいよ!」

いつまで経ってもダラダラとアルバイトを続ける娘に対し、母親の堪忍袋の緒が切れたのだ。

「これからどうするの?このままでいいと思ってるの?もし明日お母さんが死んだらどうするの?あんた一人で生活できるの?あんたが何考えてるか全然わからない!」

うるせえな。私だってわかんないよ。自分がどうしたいのか、これからどうなるのか全然わかんない。ただ毎日息してるだけの30過ぎた独身女に価値なんてないんだから、もう死んだ方がいいんだよ。日本って安楽死できないんだって。何でだろうね。生きる価値も死ぬ資格もないなんてさ、笑っちゃうよね。

たしかこんなことを叫んだと思う。いま思えば我ながら心底ドン引きする台詞だが、この時の私はたぶん、「うつ病の再発」という沼に首あたりまで浸かっていたのだと思う。

娘の咆哮に対し、母は顔を真っ赤にしながらこう言った。

「母親として言わせてもらう。あんたに価値がないなんて、誰にも言わせない。たとえあんたでも許さない。30代なんてまだまだこれからでしょ?いわゆる “若者世代” よ。あんたならその気になれば何でもできるわよ!人生諦めたフリはもう辞めなさい」

そうして、親子そろってひとしきり泣いた。母はすでに私のことを諦めていて、情けない娘だと蔑んでいるのだろうと思っていた。憶測で相手の気持ちを決めつけ、世界をネガティブに捉えがちな私の悪癖は、一生治りそうにない。


少し落ち着いてコーヒーをすすっていると、昼寝を妨害された飼い犬がのそのそと近付いてきて私の右手を舐めるので、また泣いた。ふだんはワガママで暴れん坊のくせに、こういう時だけ空気を読む犬。かわいくない。嘘。かわいい。大好き。

どうやら、私の人生はまだまだこれかららしい。
数時間前まで自分の居場所を見失い、真っ黒な海の上を無気力に漂っていたはずなのに、突然現れた灯台が光を発し始めたような、不思議な安心感と微々たる希望が湧いてきた。ありがとう母、そして犬。

よし、とりあえず転職しよう。

思い立ったが吉日。私の人生は「とりあえず」でできている。
スロースターターにもほどがあるが、気持ちさえ固まれば最初の一歩は案外怖くない。踏み出してしまえばこっちのものだ。こういう調子の良さは、私のいいところだ。


そうして、気付けば5ヶ月が経った。
紆余曲折あり(まじで紆余曲折だった)、先日ようやく転職先が決まった。

今は、現職で壮大な引き留めに合いながら退職日についてもめている。
たしかに過去最大の繁忙期に辞めるのは申し訳ないけれど、でもそれは、私が私の人生を諦める理由にはならない。

他人なんてどうでもよくて……っていうのは言葉が強いけど、それくらいのスタンスのほうが生きやすいらしい。少なくとも私の場合は。

私の人生は私のもので、行き先もオールの漕ぎ方も全部私が決めていいんだって、この5ヶ月間で嫌というほど叩き込まれた。(最近TOKIOの『宙船』が染みるのはそのせいか……)

なんやかんやで私は運がいいと思う。これまで何度か人生の危機に陥ったことがあったけれど、そのたびに家族や友人、見知らぬ人、自然、空間、作品に助けられてきた。

だからこれからは、誰かのために生きたい。
誰かにとっての灯台の光になれるような、そんな人生を。





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