勉強について考えてみた

素朴な疑問としてよく聞かれること

私は時々子どもむけ講座をしたり、プログラミング教育や大学入試改革などについて講座を企画運営することから、日常会話の中でよく質問される事があります。
・何を習わせるといい?
・今は勉強よりデジタル(ゲーム)センスとかが必要よね?
・結局はお勉強ができるのが一番だよね
・これからの将来、学校の勉強は必要なの?
専門家でもないし、将来のことなんて正直わからないです(笑)
でも、様々な人と出会い話を聞いて自分なりに思う事はあります。
あくまでも個人見解ということでつらつらと書いてみようかなと思います。

学校の勉強は必要なの?

私たち昭和世代が感じるこの疑問は至極普通かと思います。
成績主義で、ペーパーテストができる事が大切と教えられてきた世代。
良い成績でできるだけ有名大学に入る、企業に入る事が幸せだという価値観のもと育った世代です。そして、バブル以降の超氷河期を経験して高学歴でも就職難、低賃金、非正規雇用、、、など良いと教えられた価値観が崩れ、あんなに必死に勉強したのに報われないと理不尽な思いもした人が多いはず。

一方、今は少子化社会の中、アクティブラーニングで体験型の授業が増えています。自分たちが統率が1番の中で受けてきた授業風景とは異なり、それに違和感を覚えるのか、羨ましさを覚えるのか、どちらでしょうか(笑)。

それはさておき、そういう授業変化を見ながら、プログラミング教育が導入される、大学入試改革では論述が増えるなどの情報からも果たして、学校の主要5科目って塾とかまで行って学ぶ必要ある?学歴社会といわれても、学歴ない中やってこれたよ。それよりプログラミングとかゲームとかの能力上げた方が先見の目があるんじゃ?自分たちの時代とは違うんだから。と疑問に感じることはあるでしょう。逆に、自分たちが辿ってきた道同様、とにかくテストの点数、良い学校と考え机上の学びが一番と考える同世代もまだまだ多いです。

そもそも勉強とは?

そこで考えてみたのが、そもそも勉強とは?ということ。
大辞林によると・・・

① 学問や技芸を学ぶこと。学習。 
② ある目的のための修業や経験をすること。 
③ (商人が)商品の値段を安くして売ること。 
④ 物事にはげむこと。努力すること。 
⑤ 気が進まないことをしかたなくすること。

とある。
改めて調べてわかったのだけど《⑤ 気が進まないことをしかたなくすること。》からすると、勉強が楽しくないものであっても当たり前ですね!子どもにちょっと教えてあげようと思います(笑)

今求められるものの変化

《① 学問や技芸を学ぶこと。学習。 》がいわゆる学校の勉強に当たる部分かなと思います。私ら昭和世代が教えられてきた勉強に対しての価値観はここまで。
ですが、今求められているのは「学ぶ」「学習」で終わりじゃないんです。積み上げた「学び」や「学習知識」を元に「発展」できる力、新しいものを作る「創造性」など、「知っている」に「使いこなす」が加わり次の段階に進んでいる状態なのだと思います。

大学受験改革もそこがポイントになっており、それが学校教育にも落とし込まれてアクティブラーニングやプログラミング教育の導入となっています。

求められているものが変化している。
とはいえ、その元に「知識」や「学び」があることは変わりないのです。
しかし、その次の「使う」ことは必ずしもテストで良い点を取るということばかりではないということです(この時のテストとは「覚えたらできる内容」のテストです。)

見たことない問題に対してどう取り組むか、が「使う」ということなのだと思います。そして、今テストの内容もその部分を見るように苦心されていると思います。

個人的見解として

私は学校の勉強は大切だと思います。
特に小学校の内容は、基礎であり日常生活に必要なことだと思ってます(よく何も役立たなかったという人がいますが、それは気がついていないだけ。)

これからはAI社会ですが、そのAIのプログラムを組むにしても、必要なことを読み取り考え効率よく仕上げるのに算数・国語・理科・社会・英語全て統合的に必要だと思いませんか。
基礎力があれば、興味のあることに対して取り組む時、読み解きやはっきりわからないけど数的感覚で理解できるかもしれない。その土地のこと過去のことを参考に新しい発想が生まれるかもしれない。

そして、経験がそれを統合する「使う」力を育むんだと考えています。
例えば、台風のニュースで天気の動きを見ながらどんな被害が及んだとか、被害にあった時に起こり得ることやその対処などを学校の学びとくっつけて考えたりする力を子どもたちは持っています。また、何気なく遊びに行った場所や体験したことも全てをくっつけて考えることができます。
日常会話としてそんな内容をちらりとすると、驚くほど知識を持ち、こうしたらいいと思うの発想も持っていることを教えられます。

現在小学生の子どもたちが受けた習熟度のテストを見ていると単純に計算問題、書き取り問題だけでなく記述であったり、文章題の解き方まで見るものが組み込まれていたりします。また、ディベートであったり社会問題に対して調べて意見を論述にまとめるというようなことも高学年ではしています(地方の公立小)

そういう経験を重ね、答えがないものに対しても自分が持つ知識を使い新たな価値観を生み出すことができるのではないでしょうか。

この見解は学校の勉強としましたが、学校に行けないお子さんでも「行く」ことに全ての価値があると言うのではなく、行かない中でも同じように「勉強」をすることの場であったり方法を大人は考えてあげることが必要だと思うということをご理解ください。

そして、「塾」というのは、ふた通りの考えがると思います。
1:「受験」などの特別なノウハウを「習得」するため
2:学校の授業に対してのフォローのため

1に関しては、私も中学受験をした経験からそのノウハウを学ぶためには必要かなと思うけど、低学年から必要かは判断がいることだと思ってます。

2に関しては、学校というのは大人数で授業を受けます。そんな中で、理解習得するのには個人の差があるのは致し方ないことだと思うのです。(足がはやい遅いみたいなもん)
少し丁寧に何度も説明が必要で、落とし込むのに時間がかかるお子さんなどは学校授業だけでは先に進みすぎて歩幅が合わない場合があります。そうなると先生の言うこと、周りの友だちが言うことがよくわからない…授業つまらないとなると思うんです。でも、学校生活は楽しい!なら、少し手助けのために塾に行くと言うことは子どもの可能性を広げることになると思います。

結局は、お子さんのタイプや個性を見つめて対応してあげるのが一番なのかなぁと思います。

本当に、個人見解をつらつらと述べてみました(笑)


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