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右目からこぼれた涙の思い出話

最初の涙がどちらの目から流れるかは、その時の感情によって変わるそうです。

右目から流れたら喜びの涙。
左目から流れたら悲しみの涙。

ずいぶん昔、どこで知ったのかすらも思い出せないんですが、何となく記憶に残っています。


この話題で書くにあたって。
他にも言ってる人いるのかな?
と思ってググったら、同じ意見を述べているサイトに辿り着きました。

調べるまでは確信を持てなかったけど。
ひとまず安心できたので、この記事で言いたい事はおしまい。
ここから下は、涙にまつわる個人的な思い出話です。



最近、涙を流した機会を振り返ると。
「最初の涙」とか認識する余地もないぐらい、ぼろぼろ泣けてしまった事もあったけど。
明確に「右目から流れた」と覚えている出来事があります。

職場で5年以上お世話になっていた人が、昨年度末をもって別の会社へと行ってしまいました。
気さくで話しやすい人だった事もあり、いなくなってしまうという喪失感も大きくて。
3月下旬には話す度に \寂しくなります!/ と連呼したものです。

4月の最初の出社日。
その人のいない社内の光景に、しっくりこない寂しさを持ったまま仕事を始めたところ。
課の全員に届く専用メールアドレスに「着任のお知らせ」として、その人から最後の挨拶のメールが届きました。

長い間お世話になった旨のお礼を書いて返信したところ、お返事をいただきまして。
本文中にあった「薫さんほどの事務の人は後にも先にもいません」の言葉を読んだ途端、感極まってしまいました。


私の仕事は庶務寄りの一般事務なので、どちらかと言うと目立たない、縁の下の力持ちに徹する業務です。
でも見てくれている人がいた。
それだけじゃなく、もったいないぐらいの表現で言葉にしてもらえたのが、堪らなく嬉しかった。

慌ててお手洗いに駆け込んだけれど、右目からこぼれた涙だったのはしっかり覚えています。
もちろん、単純に「嬉しい」や「喜び」という言葉の枠には収まりきらない、満足や感激や自己肯定といった、様々な感情のごった煮の成果です。

そういう涙もまた、右目から流れるのだと知った出来事でした。



本当は、左目から流れた涙に関する思い出話も書くつもりだったんですが、書きながらも泣けて仕方なかったので止めました。
シンプルに「嬉しかった」に留めておきます。

お読みいただき、ありがとうございました。

#66日ライラン61日目


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