見出し画像

勉強をするということが戦いになった社会で

私たち若い世代にとって、勉強は戦いだ。
学校内のテストでよい点数を取る。模試でよい点数を取る。
テストでよりよい点数を取れる頭になれるように、自分を適応させていく。

テレビをつければ、学歴がいいと言われる人たちが知識の量を争っている。より速くたくさんの答えを導けたものが勝ち、という価値観の中で。

そこに、学ぶことへの純粋性、目的はどれだけあるのだろううか。
承認欲求を満たすツールとしての勉強。
他人と争いあって、より高い順位へ、より高い席に座れるように。
高い席に座ったものたちは、我が物顔で下にいる者にアドバイス。
どれだけ環境と、運が、あなたたちに利益を与えたかは、決して語らない。
幼稚園からインター、私立の中学校、高校?
それは特別なことだ。

こんな戦いのループが社会に何をもたらすのか?

高い席に座ったものたちは、前の世代のかたちを引き継いで、自分たちの席が絶対に奪われないように、生きる。資本主義の価値観の中で。

「頭のいい人」は、革命を起こさない。

みな、疲れている。
頭を他人に適応させることに疲れている。
純粋な、知的好奇心から来ているのではない。

先生、テスト、無機質な文字たち。こんな「他者」に自分を適応させるために、それっぽい言葉で自分に鞭を打ちながら力なく歩いている。

勉強は、学びは、誰のためにあるのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?