「天気が悪い」

雨が降った。

雨が嫌なものだと認識するようになったのはいつ頃からだったろう。

電車の中の湿気、濡れた靴下、傘から滴り落ちる水滴、洗濯物の懸念

考えてみればどれも後から勝手に付随された要素でしかない。

類人猿が野山を駆け回っていた頃には上のどれひとつだって存在しなかった悩みであって、人間が文明を発達させて雨を嫌なものにしたに過ぎない。

本来なら雨は恵みで、そのもたらす水がなければ生命は生きることすらできない。

幼い頃は別に雨を特段嫌なものとも感じていなかったような気がする。

レインコートに雨合羽、いつもと違う街の匂い、雨の日にしか遭遇できない生き物、普段乗らないバスからの眺め

わくわくを見つけ出すのに長けていたはずの目は、いつの間にか常識という色眼鏡で雨の景色を陰鬱なものとして捉えるようになってしまった。

「今日は天気が悪い」と言うけれど、考えてみれば別に天気は何も悪くない。

自分の持っている先入観に気づくのは難しい。ましてそれを外すとなると尚更だ。

次雨が降ったら、「今日はいい天気だな」と言ってみよう。

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