同窓会について、一考

同窓会の企画をしている。

年明け、小中学校の同級生からメッセージが届いた。
「久しぶりに同級生で集まりたいと思っています。」との旨だった。
ほとんどと言って良いほど絡みがなかった人であるが、おそらく成人式の時に数人で幹事をしていたために私に連絡を寄越したのだろう。

ちょうど京都での生活がひと段落するタイミングであったので、東京に一度戻ろうかとは考えていたこともあり、軽い気持ちで返事をした。

詳細を記そうかと思ったが、今回のことで私が考えたこととは関連がないので省くことにする。

ほとんど一人での企画になった。
使われているかどうかも怪しいSNSを含め90人近い旧友にメッセージを送り、場所と時間を参加したいと言ってくれた友人の都合を鑑みながら検討し、余興があった方がいいかもなどと修士論文の合間に思索を巡らせていた。

余興を考えるのが一番楽しかった。
十余年も経っていればほぼ思考や性格は他人と言えるだろう人の集まりだが、私たち数十人は確かに青春時代のいっときを同じ場所、同じ空間で過ごしている。

中学校時代の記憶を辿りながら解くクイズでも作ろうかと思いたち、自身の記憶を逡巡しながらネタを探した。

ふと、親しみを込めて生徒からからかわれていた先生のことを思い出した。
スマートフォンで問題を掲示・回答するアプリケーションを用いていたため、「きっとあの先生の写真が突然出てきたらみんな湧くぞ」などと、一人自分の考えに顔を緩ませながら、恩師の名前を検索エンジンに入力した。

見つかったのは、母校の同窓会ホームページであった。
確かに見覚えのある校舎に、馴染みのないミドルたちが表情をほころばせた写真が並んでいた。

当然のことであるが、私たちが思春期を過ごした学び舎は、一年に百人以上を、六十年以上見送ってきた学び舎でもあるのだ。
そんな、頭では理解のできる当たり前のことを、思わぬ形で目にする形になった。
きっと私自身が当時の思い出にふけっていたので、その記憶の中の場所を同じ温度で思い返す人たちがたくさんいて、彼らも数週間後の私たちがするのと同じように再会を楽しんだのだろうと思うと、知らない人たちと同じ感情を自分が感じていることがひどく不思議だった。

同窓会のホームページには、私自身の恩師であり、また同じ中学を自分たちの数十年前に卒業した立場でもある先生の投稿もあった。
同窓会の理事も務めるその先生の言葉は、私たちの少し上の代から同窓会の常任理事に穴が目立つ、ぜひ名乗りを上げてほしいというものだった。

それもそうだろう、十年以上前に作られたそのホームページは私にとってとても”懐かしい”作りで、曲がりなりにもZ世代と呼ばれる自分たちの感覚からは少し距離のある空間だった。

ただ、先刻抱いた並並ならぬ共感もあり、私は「新規会員登録」のボタンを押した。
掲示板を少し遡ると、私より少し下の代の投稿もあり、今こうして幹事をやっていなければ知る由もなかったところで、同窓の絆は連綿と繋がれてきたのだと思うと、顔も知らない後輩に頭の上がらない心持ちがした。

恩師はどうしているのだろうと、今度は検索エンジンで先生の名前を調べた。
私の中学校は国立大学の教育学部の下部組織であり、先進的な教育の取り組みが実際の学びの場で行われている学校であった。
そんな背景もあり生徒がしばしば「モルモット」と揶揄されてもいたが、おかげで先生の授業レポートが母体の大学のリポジトリからすぐ見つけられた。
それは私たちが在学していたはずの頃に書かれたものであり、私が思い出していた頃の先生の言葉がそこには残されていた。
内容としてはまさに教育的な「実験」とその成果を報告するものであったが、私の印象に残ったのは「あの時は確かにモルモットだった」という実感よりも、自分が見知った印象の中の当時の先生の全く知らなかった社会活動の記録を見た、というものであった。

それは親が外でする顔を初めて見たときの感覚に似ていて、おそらく自分自身が学生から社会人になったからこその視点でもあるように思う。
今自分がため息をつきながら求められる論文を書いているように、きっと当時の先生もこのレポートを研究成果としてまとめていたのかもしれない。(当然嬉々としてまとめていらっしゃった可能性もある。)

街ですれ違っても絶対に交わらないであろう人々が自分と同じ場所で青春時代を過ごしていたこと、そのときの記憶を共有する人たちとの交流を深める場所ではきっと私と同じように再会を喜ぶこと、私にとってのその思い出の中の先生は、きっと今の自分が大人として対面する様々な煩雑なことを当時同じような気持ちでこなしていたであろうこと、その当時の成果物を目にしたこと、その対象であったはずの自分はきっともう今とは他人と言えるほどに幼かったこと、いろいろなことを体感し、少し大げさだが長い歴史の中でずっと変わらない人の交流と感情に思いを馳せた。

もしかしたら数十年後、私がインスタグラムに還暦を祝おうという呼びかけを後輩が目にし、同じような感覚に陥るかもしれない。

同窓会というのは甚だ不思議な言葉である。
大学ではおそらくもっぱら同期という言葉を用いるだろう。
確かに高校までに比べると大学のコミュニティというのはよりファジーなもので、教室という空間的制約はあまり受けないように思う。

何かをともにするという意味を持つ熟語を作るとき、他の例では二字に収めることが多い。
同期、同級、同時、同性。
では私たちが思春期の短くない期間を過ごしたあの空間をはてどうやって熟語にしようか、となったとき、「窓」が採用されたのが不思議にも思うが、なかなかどうしてこれがとてもしっくりくる。
「同教室生」では語感が悪いし、「同期生」では共有した空間のニュアンスを内包できない。「同級生」は確かにクラスをさすが、では時間を異にして空間を共にした集団を指すには適さない。学級の定義には空間は含まれない。
果たして同窓の語源は調べていないので定かではないが、確かに言葉としての収まりはとても良い。

(追記:蛍窓雪案に由来するらしい)

きっと私たちは、たとえ歩み始めた時期が違えど、人生の同じフェーズを、おそらくは同じような憂鬱さで、同じ窓越しの景色を見ながら、少しずつ大人になったりならなかったりしたのだろう。

目を挙げた窓に映る景色は憂鬱さなど微塵も見せず、私の目には少しつまらなく感じられた。

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