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京都、その魅力

京都に暮らすようになって丸2年が経過した。

私としては「勉強したいことが京都にしかなかった」という、割と消極的な理由で京都に住み始めたわけで、当初は周囲から耳にする"京都愛"に甚だ懐疑的であった。

2年経った今、私が感じる京都の魅力は、「熱量のある人が多い」ということである。

端的に言えば、「俺はこれが好きだからこれを生業にしているんだ」という愚直な原動力を仕事にしている人が多いように感じられるということである。

もちろん東京にそういった人種がいない訳ではない。
これは恐らく絶対数の差ではなく濃度の問題で、観測範囲における比率が高いのだと思う。
あるいは私自身の選択行動がそういった人の多いコミュニティにより偏っているからかもしれない。

しかし、今現在の私が再び東京に暮らすようになったとしても、そういった人々との出逢いを期待させるような"そそられる"店構えに遭遇することは京都での暮らしに比べると容易ではないように思う。

上記の実感を、資本力とこだわりのトレードオフとして考えてみたい。

東京は賃料が高い。
必然、商売をやる上では資本力、再現性、効率などを重視した大規模なプレイヤーがものを言うだろう。
一方、上述の「情熱を具現化している商売人」にそれらはあまり縁のあるキーワードではない。むしろ細部にまでこだわりを行き渡らせるのであれば、その規模は個人の管理・手入れが及ぶ範囲の方が都合は良いだろう。

京都には小規模な資本をこだわりで補って持続可能な店が残っている。
もちろん東京にそういった店がないわけではないが、住み慣れ始めた街でもなければそれらを探すのは簡単ではない。

では私が感じる京都の魅力は、物価の低い地方都市であればどこでも再現可能なのだろうか。
結論から言うとどこでもは無理だろう。
もちろん「巨大資本でなくても入り込めるマーケットが中心部に存在しうる」と言うのが必要条件にはなるだろうが、それが十分条件にはならないというのが私の持論だ。

京都に熱量のある人が集う理由の一つが、古都としてのコンテンツの層の厚さだと思う。
宗教、習慣、文化、といった様々なカルチャーが幾層にも積み重なっていることで、あらゆるコンテンツの本場として人を惹きつけうるのがここ京都の強みではないだろうか。
「古都としての年齢」だけなら奈良に遅れをとるが、「古都としての期間」であれば国内のどの都市にも勝る、そのレイヤードなカルチャーこそが、京都の持つ訴求力の真髄であるように感じられる。

多層な文化と、それに魅入られたエンスージアストたちの生業に触れられること、これが私が(当面は)京都に身を置き続けたい理由である。



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