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5/28 亡き母の誕生日に、父と

毎日、誕生花を紹介してくださるbbさんの投稿。昨日は私の記事をシェアしてくださった上に、誕生日もお祝いくださいました。感謝します。


昨日、節目の50歳になった。そして、今日は亡き母の誕生日。
そう、私と母は、1日違い。

「別に狙ったわけではないよ。」

生前、私の誕生日になると、母は笑いながらそう話していた。

母は、私が大学生のころ、寒い中ジャガイモの世話をするために畑に行き、倒れた。周りには、誰もいなかった。自力で車を運転して帰宅。

父が帰宅して見たときには、母は半身まひしていたそうだ。脳梗塞だった。

それから、長い闘病生活が始まった。

私は、福岡から鹿児島の実家へ帰省。病院へ毎日通った。壊れた蓄音機のような母の繰り返される話を、私はずっと聞いていた。

「病院食は美味しくない。家のごはんが食べたい。」

実家は、兼業農家で有機栽培をしていた。米も確かにうまかった。

私は、幼いころから包丁を握らされて育った。料理は得意だった。

毎日、朝昼晩、病院に食事を運んで一緒に食べた。
もちろん、医師に相談しながら、減塩料理に努めた。煮物、旬の魚などを中心に。

母の病状が安定するまでに、2か月かかっていた。

私は、その間に大学の試験を受けられず、留年した。それも善き思い出となっている。そのおかげで、学生時代に妻とも出会えた。子どもたちにも恵まれた。それで十分幸せだ。

あれから、かれこれ25年くらい経ったことになる。母が亡くなって、今年で6年。
その間に、私はいろいろあって父と絶縁していた。

昨日、思い切って父とLINEで繋がった。今日、父から私の誕生日を祝うLINEがあった。

コロナが収まったら、鹿児島へ墓参り帰省する、とLINEした。

父から、花のスタンプが届いた。

砕かれた心が、少しずつ癒やされていくのを覚えた。

【ヘブル13:14/新改訳2017】
私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。
 この地上には永遠の都はありません。人生は旅、住まいは仮の宿です。地上に目を向けるのではなく、天に目を向けるのです。過去に捉われるのではなく、未来を望み見るのです。目に見えるものではなく、目に見えないものに目を留めるべきなのです。
 今日も、主のみ心に思いを巡らすことができますように・・・。

実はこのところ、祈り方を少し変えていた。
いろんな学びがあったこともさることながら、『自分の軸』を思い出したからかもしれない。

人に仕えること。目の前の人を癒やすこと。ネットでも対面でも、誰に対しても同じ姿勢で毅然と臨むこと。キリスト教的な愛・柔和な心の中にも、神道的な仁と義の心を兼ね備えた、しなやかで強い心で。


神道で培われた、和の心を兼ね備えたキリスト教を今後も極めていきたい。そして、多くの人に癒しと救いの伝道をする。

それが、母への恩返しになる、そう確信した。

今日も、すべてのことに感謝します。

この流れは、私に勇気を与えてくれたすべての方のご縁あってのこと。

本当にありがとうございます。

フラワーエッセンスのるうにいさん。エンドゥさんはじめ、グループの皆様。感謝します。。。

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