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介護で「相手が嫌なことはしない」ことが大切である本当の意味

「相手が嫌なことをしない」

これは介護の要諦ですが、この考えを聞いたとき、ほとんどの人は「人対人」での行為を思い浮かべるのではないでしょうか。
例えば言葉遣い。言葉選び。相手が不快になるような言葉を選ばない。
例えば身体介助での関わり方。不安を与えたり、痛かったりしない、丁寧な介助。
なので、言葉も行為も荒い介護職員はダメな職員と言われやすいし、それらが丁寧な職員は良い介護職員と思われやすい。
これは何も間違ってはいないし、妥当でもあると思います。

でも、人が嫌な思いをすることって、そんなに単純なことだけではないと思うのですね。

介護に限らず、私たちはいつだって無意識に人を傷つけます。意識下にあっても「だってそれはそういうものでしょ」「仕方がないことだよ」と気に掛けることをやめてしまうこともたくさんあります。
むしろ、自分は丁寧に接しているし大丈夫だと思いながら人を傷つけてしまうこともいつだってありえます。

私は以前、自分が介護のイベントを開催するときに、大きな失敗をして相手の方にひどいことをしてしまったことがあります。
会場を借りる際に、参加予定者に電動車椅子で参加する予定の方がいたのにも関わらず、インターネット上の会場説明にある「エレベーターあり」「広い入り口」という言葉だけを信じて、直接現地へ行っての内覧を怠ったのです。
実際はエレベーターの前に2段の階段があり、車椅子では入れない会場でした。

イベント内容の準備は丁寧にやったし、参加者の人には楽しんで欲しいと本当に思っていました。素人のイベント主催者としては誠実にやっていたと思います。でも、プロの介護従事者の準備としては、論外でした。
相手の方は優しく許してくれましたが、私はそのとき本当に落ち込んだし、同時に気づいたのです。自分は、普段からこういう介護をしているんだと。

「エレベーターもあるし、入り口も広いって書いてあるし、大丈夫でしょ」

こうやって、雑な根拠からの「大丈夫でしょ」という思いで、自分はやるべきことはやっていると思いながら介護をしてきたのです。
「相手に嫌な思いをさせちゃだめだよね」と言いながら。

「敬語を使って、介助技術も新しいものを学んでいれば、大丈夫でしょ。嫌な思いはさせてないはず」と。
でも、そんなわけがないことを、思い知りました。

ちょっとした段差があるだけで、車椅子の人にとっては「嫌なこと」になるのです。
自由に外出してはいけないという規則を勝手に作られるのだって「嫌なこと」なんです。
施設に入ることも、もしかしたら介護サービスを受けることだって嫌なことかもしれません。
人と人の間、人と環境の間、人と大勢の価値観の間。いろんな間に大きな障害があることは、基本「嫌なこと」なのです。
だからこそ、私たち介護従事者は、そういった障害を一つひとつ解決したり緩和したりしていくことで「嫌なこと」を減らしていきます。
だからこそ、それは介護の要諦だと思うのです。

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