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右から左へ決める介護の末路

介護現場では、介護を「方法」から考えてしまう習慣が本当に根強くあります。
新規利用者さんが来ると聞けば「大変な人ですか?」「認知症は?」「自立ですか?」となるし、退院してくる人がいれば「どんな状態ですか?」「排泄は?」「食事は常食?」となってしまいがち。

それを確認するのが間違えなわけではないのです。それはそれで必要な情報ですから。その情報を得て、自分たちが介助する方法から考えて生活の枠を作って、自分たちのリソースが余った分だけちょっと優しくお話ししたり、本人が好きなことをやってもらったり、というのは、よくあるパターンですね。よくある介護施設の定型パッケージです。
優しくないより優しい方がもちろん良いので、余ったリソースでそれをしているならまだ優しいのだけど、でもこれは、実は職員都合の介護ですね。職員都合の介護の中でのちょっとした優しさ。

本当は、考える順番が逆だと思うのです。
ケアプランは、左に本人の目的があり、右にそこへ至るための介護の方法があります。でも、介護現場では右から先に決めてしまう。あたりまえですが、まず目的から考えないと、本人の意思は後回しになってしまいます。

なぜこうなってしまうのか。それは、右から考えた方が「圧倒的に効率が良い」からです。
これくらいのADLの人にはこの介助。これくらいの認知症がある人にはこの介助。そんな風に職員都合でテンプレートをつくって、そこに利用者を嵌めこんでいけば、介助を選ぶ時間はほとんどいらないし、介護職員も多くの説明を受けなくても「ああ、このパターンね」と伝わってすぐに実践できる。人が足りないことが常態化している介護の世界では、なるべくしてなっているとも言えます。
でも、この右から決めていく介護は、効率的なようで実は泥沼なのです。職員都合、施設都合にどんどん利用者を嵌めていき、その行きついたところが「座っててくださいって言いましたよね」「次のトイレは昼食後です」というパターンで、日々これを繰り返す介護現場に魅力があるのか、介護職員を保持できているのかどうかは、もう介護従事者は知っていると思うのです。利用者も、ただ決められた枠の中で長く延びた寿命が尽きるのを待つばかりの人が多くなり、良いケアをしたかった人ほど「こんなことがしたかったわけじゃない」と辞めていきます。誰も幸せにならない。

やはり、きちんと目的からケアをしていかなければいけないのです。
本人はいろんなことについて、何をどうしたいと思っているのか。大きなことから小さなことまで、たくさんの望みやわからないこと、不安があるはずです。

「まず本人がどう暮らしたいのか。何ができるのか。そこから考えてみましょう」

この一言から始めるだけでも、違いは出てくるのではないかと思います。本人が言った言葉が本当の意志とは限らないので、真のニーズを引き出すことが必要で、それには少し時間がかかったりもします。でも、そっちから考えようとすることだけでも全然違ってくるはずです。
まずはそこから。本人の主体的な意思(本人の目的)と実行。それを身体的な原理に基づいて、あるいは個別性を最大限に尊重して、いろんな工夫をして支援することがケアの自然な流れですし、その実現がケアの目的でもあると思います。
本人の目的のために、具体的にどう暮らすか、どう支援するかを考えるからこそ、じゃあ排泄はどうするのか、食事はどうするのかを考えて工夫が生まれるし、意見交換も増えていきます。

良いケアはだいたいめんどくさいし、頑張って良いケアをしてもテキトーにやっても給料もたいして変わらない。そもそも人も時間も足りないから本人の意見なんて聞いてる場合じゃない。
現場には、効率を優先したくなる理由に溢れています。
習慣的に根付いている「方法から決めていく介護」を変えるのはなかなか容易ではないですが、それでも、少しずつでも意識を変えて、行動を変えていくことこそが、自分たちの未来を守ることにもなると思うのです。

一人でも、ひとつでも、右から左への介護を、左から右へに戻していきましょう。

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