ごっこ遊びは、なぜ成立するのか(「熟達論」より)
仕事でも、スポーツでも、趣味でも、
真剣に打ち込んでいると、
視野が狭くなります。
視野が狭くなった状態は、
物事が上手くいっている時は、
問題ないですが、
物事が上手くいかなくなった時、
自分を追い込んでしまうことに
なりかねません。
そんな時、どのように考えたらいいのか?
先日読んだ「熟達論」から、書き抜きをしております。
✅はまり込み、狭窄する視野
右肩上がりの人生が
続くことはありません。
上手くいかない時があって、
その時、
上手くいかない自分を振り返ることで、
次の成長に繋がっていく。
そのためにも、
「だめでもいいじゃないか」
と思える自分が必要になります。
✅ごっこ遊び
「本当でありながら虚構であるという状態」
自分の中にある
複数ある「役割」のうちの一つを
演じているという感覚。
ただ、
物事に真剣に向き合っている中、
このような心持に達することはできるのでしょうか。
✅プロセスに没頭する「遊」
初期衝動の「遊」があって、
はじめて成り立つ「ごっこ遊び」
lecca / First Sight feat.三浦大地
を思い浮かべました。
「好き」だからできること。
初期衝動を大切にすること。
✅仕事でも「遊」があって欲しい
過労死を始めとした不幸なことが、
職場で起こることがあります。
真剣でありながら、
「だめでもいいじゃない」
と思える環境を作ること。
「だって、好きだからやってるんでしょ」
このように思える
職場環境でありたいです。
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