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ごっこ遊びは、なぜ成立するのか(「熟達論」より)

仕事でも、スポーツでも、趣味でも、

真剣に打ち込んでいると、

視野が狭くなります。

視野が狭くなった状態は、

物事が上手くいっている時は、
問題ないですが、

物事が上手くいかなくなった時、
自分を追い込んでしまうことに
なりかねません。

そんな時、どのように考えたらいいのか?

先日読んだ「熟達論」から、書き抜きをしております。


✅はまり込み、狭窄する視野

目標に取り組んでいく際に、次第にはまり込んでいくことがある。

どうしてもオリンピック選手になりたい人は、出場することが人生の目的となっていく。

そうした熱中が加速すると徐々に周りが見えなくなり「それしかない」という状態にはまり込んでいく。

それは技能を深めていく上では特効薬的な役割も果たすが、同時に自分自身の首を絞めていく危険がある。

「熟達論」p.61

右肩上がりの人生が
続くことはありません。

上手くいかない時があって、

その時、

上手くいかない自分を振り返ることで、

次の成長に繋がっていく。

そのためにも、

「だめでもいいじゃないか」

と思える自分が必要になります。

✅ごっこ遊び

例えばごっこ遊びというものがある。

子供たちが、砂場でおままごとをしていて

「今日の晩御飯はカレーライスよ」

と言いながら、

おもちゃのお皿に土を載せる。

「わぁ今日は僕の大好きなカレーライスだ」

と言いながらそれを食べるふりをする。

「熟達論」p.61-62

それが虚構であると知っていながら、

本当のように振る舞うからこそ

ごっこ遊びは成立する。

遊びは微妙なバランスに立つ。

・・・

遊びが成立するのは、

本当でありながら虚構でもあるという状態を、

その場を形成する皆が

暗黙に了解しているからだ。

「熟達論」p.62

「本当でありながら虚構であるという状態」

自分の中にある

複数ある「役割」のうちの一つを

演じているという感覚。

ただ、

物事に真剣に向き合っている中、

このような心持に達することはできるのでしょうか。

✅プロセスに没頭する「遊」

人間はプロセスに没頭している間は自然に動ける。

我に返り、状況を客観的に見てしまい、

勝敗を意識することで緊張が生まれるのだ。

だからすべてをプロセスにすることが重要で、

そのために目的を持たずただ楽しいからやる

「遊」の感覚が効くのだ。

「熟達論」p.66

初期衝動の「遊」があって、

はじめて成り立つ「ごっこ遊び」

lecca / First Sight feat.三浦大地

を思い浮かべました。

getting older,
is it over?

あの頃みたいに楽しんでる?

焦りとか

やらなきゃとか

思うなんてらしくないから

誰かに言われて

志したわけじゃないこの道は

私のやる気が

どれくらいなのか

試してくるの

最初に頂いた情熱が色あせる頃

だから思い出すんだ

きっとはじまる

lecca / First Sight feat.三浦大地

「好き」だからできること。

初期衝動を大切にすること。

✅仕事でも「遊」があって欲しい

過労死を始めとした不幸なことが、

職場で起こることがあります。

真剣でありながら、

「だめでもいいじゃない」

と思える環境を作ること。

「だって、好きだからやってるんでしょ」

このように思える

職場環境でありたいです。

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