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彗星と蝶

青と空気の壁が春の僕を撃ち殺した。遠近を忘れてしまうようなどす黒い葉緑体が、二滴ほど、雫が、落ちる。
干ばつに襲われた喉をかき鳴らすように水分が通り抜けていく。

電車が透明を叩き潰して、音と熱に変換し、それを容赦なく、一枚の紙に写し変えてしまう。景色がズレていく。前方向に発生した重力に逆らえない僕らは、前かがみになってこの線路をゆかねばならない。
つまづいても大丈夫だ。これは僕らを自動的に、運んでくれるようだから。
幾数もある山や谷は誰がやったのか、綺麗に整備されていて、一直線の、感情だけが、逆らおうとしている。
その鉄の箱は、誰にも壊せない。
葉緑体が、もう二つ、落ちる音を聞いた。

鳥が羽を震わすよりも密かに、横綱が俳句を詠むより厳かに、猫が崖から落ちるより微かに、行われたそれは、まるで無銘の月食のようであった。
葉に彗星が落ちる。
その彗星には名前があった。
彗星一つ一つに、
自由があった。
太陽の重力に、
縛られた自由であると、
彗星の誰も知らなかった。
それでも、
彼ら自身の人生を、
自由に生ききった。

一人望遠鏡を作った蝶だけが、彗星の自由と不自由を知っている。
蝶は、その真実を、葉っぱに包んで自分だけの秘密と決めた。

雫が、落ちる。

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