ピコピコ中年「音楽夜話」~長谷川、バンドやめるってよ【最終話】
☆バンド…始動?
リビドーにブンブンと振り回されまくりの第二次性徴期の少年が、何の因果か男子校に入学。TV番組イカ天でバンドブームの洗礼を受けるも、音楽を「聴く」「知る」ことにのみ一生懸命だったあの頃。
ついに長谷川少年はバンドに誘ってもらえたのだが…。
音楽…それは皆のフロンティア。これは、ミュージシャンでも何でもない、東北に暮らしているただのピコピコ中年が、数々の音楽に出会い、時にココロ救われ、時に人生さえ動かされた回顧録的物語である。
(スタートレックの冒頭BGMと共に)
【前回】
M君からバンドへのお誘いを受け、不安9割、ドキドキ1割でYESの返事をした私だったが、そこからトントン拍子に話が進んだわけではなかった。
まずは、私が担当する楽器の選定である。
そして、バンドの編成である。
M君は現在ギターを練習している。他のバンドメンバーであるM君の中学時代の友人2名。S君はギター。T君はベース。G・G・B・私。ダブルギターにリズムパートはベースでまかなうとしても(まかなえるのか?)、私は何をすればいいのだろう。
一瞬、当時毎週毎週楽しみに聞き、影響されまくっていた「電気グルーヴのオールナイトニッポン」が頭をよぎる。なんならピエール瀧のように、バンドにおける担当が「瀧とかいう人」という感じにできないものか。「長谷川とかいう人」として、ただステージ上で奇声を上げたり、着ぐるみ着て踊ったりするのは…と考えたが、あまりにも自分が思い描いていたバンド、そしてM君が思い描くバンドともかけ離れ過ぎていることが明白なので、その考えは封印した私なのだった。【↓電気グルーヴ初期の一例↓】
バンドに明らかに欠けているピースを埋めるのであれば、そこは私が「ドラムやるよ!」と言うべきところだったのかもしれない。
しかし、バンドに憧れる少年あるある、それ即ちギターをやりたがる。当然であろう。ギターが弾けるようになれば、一人弾き語りもできる。そして何より、少年たちが憧れるロックスターの多くは、ギターを肩からブラ下げ真実の言葉をシャウトしている人達である。
結局、まだ何の楽器にも手を触れていない私は「ドラム難しそうだし、ギターやりたいな」と控えめにM君に伝えたのだった。「やっぱり、バンドやるっていったら、そうだよねぇ」的な表情をM君が浮かべたことを今でも思い出す。
そして、幾度かのダラダラしたメンバー全員集合のミーティングのようなものを経て、私は晴れてギター担当となったのだった。
しかしそれば、ギター三人衆+ベースという、超前のめりで攻撃的でパンクな編成に落ち着いたわけではなく…
バンドを結成するべく、なんと、M君がドラムセットを買ったのだ。
今にして思えば、M君の家は裕福な家庭だったのだろう。思い返してみれば、グランドピアノも自宅に置いてあった気がする。松本孝弘モデルのギターを所有しているのにも関わらず、サラリとドラムセットを購入。つまり、G・G・B・Dr。これで誰かが歌を歌うのであれば、とりあえずシンプルな編成ながらもバンドが完成したことになる。
これでバンドできるじゃん!
盛り上がる男子4名。できるということだけで満足し、その日はM君の自宅から各々帰路についたのだった。
☆バンドワゴンはガタガタ揺れて
やった、バンド結成したべ!と盛り上がってからは早かった。
ギターを持っていない私は、意を決して母親に今までのお年玉貯金からエレキギター代を引き出すことはできまいかと交渉。無事にある程度の現金を手にすることに成功。M君同伴で楽器店へと赴き、晴れてメーカー名すら覚えていない、白い最安のエレキギターを手にしたのだった。
その後、恒例となったメンバー集合のダラダラミーティング。
まず初めに演奏するのはブルーハーツにしようと決まった。
BLANKEY JET CITYは先輩がコピーしているので却下。M君宅でよく流れていたB’Zは難しかろう。個人的にはTHE COLLECTORSの「世界を止めて」なんか演奏できたら、女子からドチャクソモテるのではないかと思ったが、言い出す勇気がなくそっと闇に葬られた。
バンドのスタートとして簡単そうな曲が良かろうとBeatlesも候補に挙がったが、そもそもの発端が先輩がコピーしていたBLANKEY JET CITYである。ヤンキーでパンキッシュなその佇まいと比較すると、Beatlesはちょっとオールディーズに近いマッシュルームおじさん達。哀しいかな、私を含む山形の少年たちには、まだその魅力が十分に理解できていなかった。
ジミ・ヘンドリクス、ローリングストーンズ、ディープ・パープル、他にも海外の有名アーティストの名が挙がったが、S君とT君の「聴いたことねぇし」発言で却下。
結果、メンバー全員が抱くBLANKEY JET CITYの感覚に一番近く、パンキッシュな楽曲は演奏も比較的簡単であるという理由からのブルーハーツでファイナルアンサーなのだった。
手始めに練習する楽曲は「青空」。
曲調もミディアムテンポであり、初心者が練習するのにも丁度良い。そして何よりも呆れるくらいのド名曲。この文章を書いている令和の時代においても色あせないメッセージ性(それだけ世界のクソッタレ具合が、今もなお変わっていないということでもあるが)。世界の片隅、東北は山形市のバンドを始めた少年たちがチョイスするのも、おこがましいような名曲であった。
バンドを結成し、マイエレキギターを手にし、コピー演奏するバンドも練習する曲も決まり、気持ちだけは無駄に高まっていた私。
脳内の妄想はまるで、(当時はまだ発売されいなかったが)ロック漫画の金字塔「BECK」のごとし。伝説のロックフェスであるウッドストックフェスティバルのステージ上で、ギターをかき鳴らす自分。鳴りやまない歓声。曲が終ると感極まってギターを振り回しアンプを叩き壊す自分。獣のような歓声でそれを煽る上半身裸のヒッピーたち…。
しかし、そんな盛り上がる脳内妄想は
ギターの
F コ ー ド
の存在によって、現実へと戻されてしまったのだった。
まずはギターの基本練習!と教本片手に取り組んで気付く。どう頑張ってみても指定された弦の箇所を押さえられない。無理やり手がツリそうになりながらであれば、かろうじてイケるか、いや無理かも、なレベルで押さえられないのだ。そう…
私は、手が、人よりも、小さかったのだ。
どれぐらい小さいのかというと、身長170㎝の私よりも背が低く、標準体型の妻よりも小さいのである。手が。さりとて指が長いわけでもなく、ちんまりと男性にしては恥ずかしいくらいのサイズ感なのである。
「嗚呼、そうか。だから幼少期に無理やり習わされていたエレクトーンも上手く弾けなかったんだ」と自分の努力しなさ加減は棚にあげて、しみじみ認識できた自分の手のサイズのせいにする私。
「無理っぽい、ちょっと強めの理由」、これはヤバい。意志薄弱、隙あらば「楽」に流れる、面倒力に負けっぱなしの私にとっては効果テキメンの免罪符である。
デバフ系の呪文でもかけられたぐらいに、あれよあれよとモチベーションがダウン。超必殺技を発動できるほどに溜まっていた技ゲージが、グングン下がっていくのを感じたのだった。
その後、とりあえずFコードは後回しにし、M君にも教えてもらいながら「青空」のメロディラインを練習したが、恐るべきは免罪符。指が切れるほどに練習するでもなく、他の曲にチャレンジしてみるでもなく、Aメロパート部分を何とか覚えるという、ロックスターには程遠い「のほほんと楽な天国」への道を開いてくれたのだった。
☆長谷川、バンドやめるってよ
思い返してみれば、原付バイクに乗せてもらったり、SFCのゲームを楽しんだり、そんな遊びの延長線上のフワっとした「バンド」だったんだと思う。他の3人はどう思っていたのか、今更確認することもできないが。
そもそもバンド名すらつけていなかった。そして、いつまでに演奏できるレベルまで仕上げるのかも決めていなかった。もちろん、演奏が上手くできた後のことなども考えていなかった。
バンド結成したべ!と盛り上がってから、しばらく後は各々の練習期間ということで、音を合わせることもなく。各々が各々なりに「いつまでが練習期間なんだろうなぁ」と思っていたのかもしれない。その事に触れることもなく遊ぶ日々が続いた。
数か月程経った頃だっただろうか。ついにM君がシビレを切らして口を開いた。
「〇日に貸しスタジオ予約して、1回音合わせてみない?」
そうだね、と未だに「青空」のAパート部分しか弾けない私が最初に同意する。T君とS君も同意したが、よくよく話を聞いてみると、既に「青空」はマスターしているようだった。もちろん言い出しっぺのM君も曲はマスター済である。
すかさずこれはヤバいと「あ、俺、まだ完璧じゃないんだ。手が小さくてさぁ」と言い訳をした私だったが、「まぁまぁいいから、とりあえず音合わせてみようよ」と流され、初の音合わせ日が決定してしまったのだった。
そして訪れた、音合わせ当日。
…。
その曲が表現する哀しさとは、違った意味で「哀しく」致命的に音とリズムがズレたブルーハーツの『青空』。
そんな「青空?」と疑問形になってしまうような曲が、貸しスタジオの中に響き渡った日。
バンドを、辞めた。
正確に記すのであれば、私のみが「辞めた」のではなく、そのバンドが演奏することは「二度となかった」。
「うわ、全然音合わないじゃん!」、真剣にバンドに取り組んでいる人であれば怒りの感情がこみ上げそうなシチュエーションである。しかし、そこは我らがフワっとしたバンド。「合わなかったねぇ」「そうだねぇ」などと穏やかに言い合いながら、一番ギターが上手いS君のソロプレイを爆音で聴き、スタジオレンタルの残り時間をダラダラと消費したのだった。
スタジオのレンタル終了を告げる内線電話が鳴る。
その音は、まるでドリフターズのコントの終わりを告げる、長さんの「ダメだこりゃ」のようだった。コントのオチを知らせるメロディと暗転する舞台。そしてエンディングに突入。ババンババンバンバン、お別れするのは辛いけど、である。
私のバンドが終った瞬間だった。
その後、誰の口からも「音合わせしようぜ」という言葉が出てくることのないまま、メンバー全員が高校卒業し現在に至っている。
<完>
☆あとがき的なモノ
アニメ『ぼっち・ざ・ろっく』に流れている「音楽/ロック/バンドの素晴らしさ」に触発され、思い起こされた自分自身の音楽体験。
無駄に長くダラダラと書いてしまった。とりあえず、自分のバンド経験(経験と呼べるほどのものでもないが)編はこれにて終了したいと思う。しかし、これだけダラダラ書いておきながらも、まだまだ書き足りない。いや、書ききれていない。
誰が読むでもない、こんなnoteの片隅でダラダラ書き続ける。ちょっと自分の「書かずにはおれない」分泌(文筆)欲に呆れてしまう深夜であるが、まぁ、そこは、ピコピコ中年のオ〇ニーみたいなものと思っていただければ。汚い、気持ち悪いと思う方は、もっと有益なスキのいっぱいついたステキな記事を読んでください(笑)
次からは、もうちょい軽くサクサクと音楽について書いていこうかなぁと思うけれども、何分テーマは「音楽」である。自身のパーソナリティのそこそこ大きい部分を占める要素のため、書いていて熱くならない保証はどこにもない。
次回ピコピコ中年「音楽夜話」。音楽遍歴的には大学受験と暗黒期の浪人生時代に突入する予定。それではまた。
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