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【実体験】翔んで山形(BGM:円広志『夢想花』)

とんで とんで とんで
とんで とんで とんで
とんで とんで とんで
まわって まわって
まわって まわる

円広志『夢想花』1978年

空を、飛んでいた。

音はなく、ゆっくりと周りの景色がパノラマ撮影のようにスライドする。

「あ、S君ちの屋根ってあんな感じなんだ…」「うわっ!あの家の柿の木よりも高く飛んでるじゃん!」

今思い返し、その時の脳内にBGMを流すのであれば、まず間違いなく、円広志さんの『夢想花』がベストである状況。『夢想花』ネタが伝わるのは、いったいどれぐらいの年齢層までなのかと首傾げおじさんになりつつも、あの名曲以外にジャストフィットする曲がないであろうという、「とんで、まわって」いる状況。

まるで映画でも観ているような素敵な景色が広がっていた…。

…。

全身が焼けるように熱くて痛かったけれども…

…。

そう。

この夢のような景色は、私が自動車衝突し、思いっきり跳ね飛ばされた時の思い出の景色なのである…。

1984年、小学3年生の春。その日、いつも遊んでいるY君が学校を休んだため、あまり遊んだことのないW君と遊んでいた。いつもと違う友達と遊んでいるというシチュエーションにテンションが上がったのだろうか。妙にはしゃいでいた。この慣れないハイテンションが悲劇を巻き起こしたのだった。

「駄菓子屋に行こうぜ!」100円玉を右手に握りしめ、W君を差し置い飛び出した道路には猛スピードの車が走ってきていたのだった。

バン!だったかパン!だったかドーン!だったか、いずれにしても今まで聞いたことがないような音と共に私は空へ舞い上がった。

キーンという耳鳴りで何も音は聞こえなくなる。今までに感じたことのない衝撃で、全身に痺れと熱さを伴う痛みが走る。「あ、これ車に轢かれたんだ」と気が付いたあたりから、全てがスローモーションになった。

そして、流れる『夢想花』(流れていません)。

人は死に際に走馬灯を見る、と聞く。それは、絶命の危機にひんした際、生物としての「最期のあがき」として、今までの経験や記憶から「この絶体絶命の危機を脱する手立てを探せ!」と情報を検索するために流れる映像なんだとか…。

しかし、哀しい哉。宙を舞っていた私は小学3年生、9歳。

たった9年間の経験や記憶からは、この危機を脱する手立てを検索できそうにないですぜ旦那…と、我が脳は「404エラー(Not Found)」よろしく白旗を揚げたのだろう。ただただ、脳内物質が異様に分泌され、ただただ全てがスローモーションになっただけなのだった。

そして着地(というか落下)と共に訪れるブラックアウト…。

次に目を開けると、私は大勢の大人たちに囲まれていた…。

「よかった、気がついた!」「大丈夫?」「痛くない?」矢継ぎ早に色々と大人たちは声をかけてくれたが、私がまず最初に思ったことは…

や ば い ! 怒 ら れ る っ !

ということだった。

交通安全。右を見て左を見て、横断歩道を渡りましょう。道路への飛び出しは危険です!と常々言われていたのに、思いっきり飛び出し、それ見たことかと言わんばかりに、綺麗に車に轢かれて空中をキリモミ旋回しながら飛行したのである。

これはマズい。かなりマズい。山形弁で表現するなら、確実に「ごしゃがれる(怒られる)」案件である。モンハンの新モンスター名みたいなゴシャガレルが私に襲い掛かってくる案件である。

とにもかくにも怒られたくない一心で、何とかこの場から逃げ出さねばと思う私。

幸いなことにカラダは動かせる。出血も鼻血ぐらいである。…今にして思えば、車に轢かれ、散々宙を舞って落下したのに鼻血程度とは、余程打ち所が奇跡的に良かったのだろうとしか言いようがないのだが…。とにかく、怒られる前に立ち上がった。

「大丈夫です!大丈夫なので、とにかく帰ります!」

唖然とする周囲の大人たち。私を轢いた車の運転手もいたように記憶している。まだ警察も救急車も来ていない。まぁ、そもそも誰かが110番なり119番なり、連絡をしたのかも分からなかったが。

「本当に大丈夫なんだな?」と車の運転手がしつこく聞いてきたが「大丈夫です」「大丈夫です」と、なるべくハッキリと良い子の回答のように聞こえるように返事をした。

そして私は、人だかりの外でアワアワしていた友人のW君に「この事故のことは秘密にしてね!」という念を込めて目配せをしつつ、制止する大人たちを振り切り、とにかくその場を立ち去ったのだった…。

…。

その後はといえば、帰宅と同時に猛烈な頭痛に見舞われるという、この年齢まで生きてくれば流石にド文系の私でも分かる「それって、衝撃により脳が腫れている、けっこうヤバいヤツなんじゃないですかね」的な危機も、寝たら治るという、これまた奇跡的な回復力を私のカラダはみせてくれたり。

そして誰にも事故のことがバレている風もなかったり(少なくとも私が怒られることはなかった)。W君の口の堅さに感謝しながら日常へと戻った長谷川少年なのでした。

嗚呼…、何か1つでもボタンを掛け違えていたら、今こうして深夜にノホホンとnote書いてることもなかったであろうワタクシ。

この体験から私が得た貴重な「気づき」は3つ。

1:飛び出し、ダメ!絶対!

2:車に轢かれたら、怒られてもいいから病院で検査してもらうこと

3:車で人を轢いてしまったら、いくら被害者が大丈夫と言っていようが警察を呼べ!

…。

…。

とりあえず意識高そげに「気づき」って言っとけば、何でも許されるわけじゃないですな(笑)小学生レベルの「常識」です。

皆さん、くれぐれも交通安全を心がけてお過ごしくださいませ。『夢想花』を聴く度に、地獄のアクロバティック飛行をしたことを思い出す東北おじさんからのお願いでした。

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