〈寄り添う〉と〈寄りかかる〉

下記はBGMに選びました

きのうの日記に書いた〈オレが誰かを傷つけた事〉について、友人2人からそれぞれオレを気にかけるメールが届いた。
どちらもオレの気持ちに〈寄り添う〉内容だった。
〈寄り添う〉とは、オレの見ている〈悩み〉と同じ方向を見ながら、横に座っているような事なんだと思う。
すごい抽象的でハッキリしないから、嫌いな表現ではあるけど、、ともあれ、
1人は宮沢賢治の一節を引用した内容で、「何がほんとうの幸いかわからない」その苦い経験がより良い未来の布石になる…と示唆する「きっと大丈夫」という内容だった。
オレは少し希望が見えた気がした。全部じゃないけど、ゴールがどこかはわかった。

もう1人のメールは「大丈夫?」という心配のメールだった。同じく〈オレの気持ちに寄り添う〉内容だった。
しかし、大事な友人の1人なのに、そのメールでとても気が重くなった。
思わず「いいえ、全く大丈夫じゃないよ。」と返す所だった。そうとしか答えられない、どう答えたらいいかわからないメールに感じた。
「大丈夫?」という言葉は、〈大丈夫な人〉に向けられるべき言葉のように感じた。〈〜すべき〉が出たという事はオレにネガティヴな信念があるという事だ。
こんな時は、ほんの少しのネガティヴにも反応する。

軽い〈暑さや寒さ〉なんかの会話の感じじゃないような〈大丈夫じゃない〉からだ。おそらく結構〈大丈夫じゃない〉時で、こういうギリギリの時は火傷の皮膚みたいに敏感になっていて、受け取りかたがネガティヴになる。うまく言えないが。

ふと母親の事を思い出した。
いつも〈不安〉というネガティヴな思いを「大丈夫?」という言葉で表現してオレに寄り添った。
オレはいつもそれを重荷のように感じていて、〈自分に寄りかかって来ている〉ように感じていた。
悩んでいるのはこっちで、更に〈母親の不安〉まで押しつけられるのだ。
まだ思春期だったオレは、ますます母親から距離をとるようになった。

もちろんそれは、〈愛〉から生まれた愛の言葉なのだが、落ち込んで余裕がない時は、それを受け止めきれなくなる。
〈大丈夫?〉は、〈あなたは今大丈夫じゃないよね〉という意味で、大丈夫じゃない自分の心の事を、他人から〈その通り!あなたは大丈夫じゃない!〉と念を押されている気分になるのだ。

オレはきのう傷つけた青年と2人の友人から、この気づきを得た。
傷ついた人間に寄り添う時は、傷ついた人間のとなりに座る時は、心がネガティヴかポジティブかによって相手に与える影響が変わる。悪影響にもなるという事だ。

結局のところ、オレの今の悩みはオレにしか消化出来ないもので、他人から〈大丈夫?〉と言われても解決しないのだ。ただ〈大丈夫じゃない〉という事実を再確認するだけだった。

普段はどう言われても気にならない。
でも、いっぱいいっぱいになってる時は
ポジティブな気持ちで助言をするか、〈我関せず〉とただ横に座るか、何もしないか…が、一番嬉しい〈寄り添い方〉な気がする。

「大丈夫?」という不安のネガティヴなエネルギーは、傷ついた人間をネガティヴなサイクルに引き込む作用がある。
一度入ると抜けるのが大変なヤツだ。
「きっと大丈夫!」という不安のポジティブなエネルギーもあるという事だ。〈不安〉にも、ポジティブな表現の仕方があるという事か。

思えばこの「大丈夫?」をオレは何度となく使って来た。おそらく余裕のない人に対してもたくさん使って来た。

きょうオレはそれに気がついた。きのう〈青年を傷つけた出来事〉はこの為にあったのだと盲信する事にした。
それで、オレは自分が少し許せるようになるからだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?